なぜ有能な社員ほど能力を隠す組織が生まれるのか?仕事が早い人が損をする組織の構造

記事解剖
  1. 結論:能力を隠す社員を生むのは、能力を発揮した人に報酬ではなく負担を与える組織である
  2. 仕事が早い人に仕事が集まること自体が問題なのではない
  3. 有能な社員が能力を隠すまでの5段階
    1. 第1段階:工夫して仕事を早く終わらせる
    2. 第2段階:空いた時間に追加業務を与えられる
    3. 第3段階:高い成果が基準になる
    4. 第4段階:能力を見せるほど危険だと気づく
    5. 第5段階:仕事量を調整するようになる
  4. 能力を隠すのは、個人にとって合理的である
    1. 能力を100%発揮した場合
    2. 能力を70%に抑えた場合
  5. 真面目な人ほど損をしやすい理由
  6. 評価制度が仕事量の差を認識できていない
  7. 上司が有能な社員へ仕事を集中させる理由
  8. 能力の高い社員が組織を信用できなくなる
  9. 「働いているフリ」は組織が生み出した演技である
  10. 成果主義へ変えれば解決するとは限らない
  11. AIは能力を隠す問題をさらに大きくする
  12. 有能な社員が能力を出せる組織に必要な仕組み
    1. 1.追加業務を評価へ反映する
    2. 2.高効率者へ時間を返す
    3. 3.追加業務に上限を設ける
    4. 4.見えにくい貢献を記録する
    5. 5.能力の低い社員にも仕事を任せる
    6. 6.効率化の利益配分を明示する
  13. 有能な社員を見分ける方法も変える必要がある
  14. 結論:能力を隠す社員ではなく、能力を隠すことが合理的な制度を問題にすべきである

結論:能力を隠す社員を生むのは、能力を発揮した人に報酬ではなく負担を与える組織である

まず、結論を先に上述しておきましたが、有能な社員が能力を隠すようになる最大の理由は、仕事を早く終わらせても、給与や評価、自由時間が増えず、代わりに仕事『だけ』が増えるからです。

なんでこの記事を書いているかと言うと、昨日の続編、ではないですが、何故『働いているフリ』をしているのか、その原因を探ろう、という記事ですね。

Z世代の8割が認めた「働いているフリ」、仕事が早いほど損をする評価の罠という記事を読んで……筆者が本当に言いたいことは、Z世代についてではないですよね?
なぜ社員は忙しそうに見せたり、仕事をしているふりをしたりするのか。世代論だけでは説明できない評価制度や職場のインセンティブから、「働いているフリ」が生まれる理由を考えます。

能力を発揮するほど社員が得をする組織なら、社員は積極的に工夫するでしょう。

給料が上がる、早く仕事を片付ければ自由時間になる、みたいな感じだったらもうめっちゃ工夫すると思いますよ。少なくとも私なら知恵を絞る。

しかし、能力を発揮するほど、

  • 担当業務が増える
  • 困難な仕事を任される
  • 他人の仕事まで押しつけられる
  • ミスをした際の責任が大きくなる
  • それでも給与はほとんど変わらない

という状態になるなら、社員は徐々に学習します。

本当の能力を見せない方が、自分を守れる。

つまり、能力を隠す社員は突然生まれるのではありません。

能力を発揮した人に適切な報酬を返さない組織が、時間をかけて社員に「能力を隠すこと」を学ばせている、と言うのが実情ではないでしょうか。

仕事が早い人に仕事が集まること自体が問題なのではない

まず区別しておきたいのは、仕事が早い人に追加の仕事を任せること自体が、必ずしも不当ではないという点です。

企業は社員の労働力を使って事業を運営しています。

ある社員が担当業務を早く終え、勤務時間が残っているのであれば、別の仕事を依頼することには一定の合理性があります。

また、有能な社員に重要な仕事を任せることも、組織運営としては自然です。

問題は、追加される仕事と、その社員が受け取る見返りが釣り合っていないこと。

たとえば、仕事を早く終えた社員に毎回追加業務を与えながら、

  • 給与は同じ
  • 昇進にはつながらない
  • 人事評価にも十分反映されない
  • 失敗した場合の責任だけ増える
  • 翌年から高い成果が当然とされる

という運用を続ければ、追加業務は成長機会ではなく罰になります。

問題は「仕事が増えること」ではありません。

会社には仕事を増やす仕組みがあるのに、報酬を増やす仕組みがないこと

が問題なのです。

有能な社員が能力を隠すまでの5段階

有能な社員が最初から仕事を抑えているとは限りません。

多くの場合、最初は真面目に能力を発揮します。

しかし、職場での経験を通じて、次のように行動を変えていきます。

第1段階:工夫して仕事を早く終わらせる

新しく配属された社員や意欲の高い社員は、仕事を効率化しようとします。

  • 作業手順を整理する
  • 無駄な工程を減らす
  • テンプレートを作る
  • AIやソフトウェアを活用する
  • 集中して短時間で終わらせる

この段階では、自分の能力を会社に認めてもらえると期待しています。

第2段階:空いた時間に追加業務を与えられる

上司は、早く仕事を終えた社員に別の仕事を与えます。

一度だけなら問題ありません。

しかし、その状態が続くと、有能な社員には常に仕事が集まります。

一方、仕事が遅い社員は、最初に与えられた仕事だけで勤務時間を使い切ります。

その結果、同じ勤務時間と給与でありながら、有能な社員の処理量だけが増えていきます。

第3段階:高い成果が基準になる

人は一度高い成果を出すと、それが次からの基準になります。

以前は1日10件で十分だった仕事を15件処理すると、翌月から15件が当たり前になります。

さらに18件処理すれば、次は18件が期待されます。

ところが、仕事量が増えても給与や人員は変わりません。

有能な社員からすると、能力を発揮するたびに自分の最低ラインが引き上げられている状態です。

第4段階:能力を見せるほど危険だと気づく

この頃になると、社員は職場の仕組みを理解します。

  • 仕事を早く終えると、さらに仕事が来る
  • 改善すると、新しい標準にされる
  • 他人を助けると、今後も助ける役目になる
  • 難しい仕事を成功させると、次も任される
  • 断ると協調性がないと評価される

そして、次の結論に達します。

能力を出し切らない方が、負担と責任を抑えられる。

第5段階:仕事量を調整するようになる

最終的に、有能な社員は能力そのものを失ったわけではないのに、意図的に出力を抑えます。

  • 早く終わっても報告しない
  • 作業速度を周囲に合わせる
  • 改善案を出さない
  • 知っていても黙っている
  • 難しい仕事を引き受けない
  • 忙しそうな振る舞いを身につける

これは本人の勤労意欲が突然失われたのではありません。

過去の経験から、その職場で損をしない行動を学んだ結果です。

能力を隠すのは、個人にとって合理的である

組織全体から見れば、社員が能力を隠すことは損失です。

しかし、個人の立場から見ると、非常に合理的な場合があります。

仮に、能力を100%発揮した場合と、70%に抑えた場合を比較します。

能力を100%発揮した場合

  • 仕事量が増える
  • 困難な案件が集中する
  • 同僚の支援を求められる
  • 失敗リスクが高くなる
  • 残業が増える
  • 給与はほぼ変わらない

能力を70%に抑えた場合

  • 担当業務だけで済む
  • 周囲と同じ程度に見える
  • 責任が増えにくい
  • 突発業務を避けやすい
  • 体力と精神的余裕を残せる
  • 給与は100%の場合とほぼ同じ

この条件なら、70%に抑える人が現れるのは当然でしょう。

組織は社員に全力を求めますが、社員から見れば、全力を出すことによる利益がありません。

むしろ全力を出さない方が、同じ給与で負担を減らせます。

このとき、社員の行動を「やる気がない」と批判しても問題は解決しません。

社員の行動を変えたければ、能力を発揮した方が得になる制度へ変える必要があります。

真面目な人ほど損をしやすい理由

この構造で特に損をするのは、単に能力が高い人だけではありません。

次のような性格の社員も仕事を抱えやすくなります。

  • 頼まれると断れない
  • 責任感が強い
  • 周囲の遅れを放置できない
  • トラブルを未然に防ごうとする
  • 他人が困っていると助ける
  • 品質を下げたくない

このような社員が組織を支えている場合、表面上は業務が回ります。

遅れている人がいても、真面目な社員が補います。

準備不足があっても、責任感の強い社員が残業します。

上司の指示が曖昧でも、経験のある社員が調整します。

そのため、経営側は組織の問題に気づきにくくなります。

しかし実際には、少数の社員が余分な負担を引き受けることで、非効率な制度が延命されているだけです。

そして、その社員が疲弊して異動や退職を選んだ瞬間、隠されていた問題が一気に表面化します。

有能な社員が辞めると組織が急に回らなくなるのは、その人が単に自分の仕事をしていたのではなく、制度の欠陥まで補っていたからです。

評価制度が仕事量の差を認識できていない

有能な社員が報われない理由の一つは、評価制度が実際の貢献量を捉えられていないことです。

多くの職場では、評価する側がすべての仕事を観察できません。

そのため、評価は次のような目立つ要素に偏ります。

  • 上司への報告が上手い
  • 会議で発言する
  • 長時間職場にいる
  • トラブル対応が目立つ
  • 成果を自分の言葉で説明する
  • 上司との関係が良い

一方で、次のような仕事は見えにくい傾向があります。

  • 問題を未然に防ぐ
  • 後輩を助ける
  • 作業を標準化する
  • 周囲のミスを静かに修正する
  • 安全や品質を維持する
  • 人間関係を調整する

問題を起こしてから解決した人は評価されても、問題が起きないように準備した人は評価されないことがあります。

仕事を抱えながら黙って処理する人よりも、自分の成果を積極的に見せる人が高く評価される場合もあります。

この環境では、実際に価値を生むことより、価値を生んでいるように見せる技術が重要になります。

その結果、有能な社員も仕事そのものではなく、評価されるための演技へ時間を使うようになります。

上司が有能な社員へ仕事を集中させる理由

上司側にも事情があります。

期限が迫り、失敗できない仕事がある場合、上司は最も確実に終わらせてくれる社員へ依頼します。

仕事が遅い人へ任せて問題が起きれば、上司自身の責任になります。

そのため、

忙しい人に頼んだ方が確実
できる人に任せた方が説明が少なくて済む
断らない人へ頼んだ方が早い

という判断になりやすいのです。

短期的には合理的です。

しかし、この判断を繰り返すと、

  • 有能な人ほど忙しくなる
  • 能力の低い人は成長機会を失う
  • 仕事の属人化が進む
  • 有能な社員が疲弊する
  • さらに能力を隠すようになる

という悪循環が生まれます。

つまり、有能な社員へ仕事を集中させることは、目の前の業務を終わらせるには有効ですが、長期的には組織の能力を低下させます。

上司が短期的な正解を積み重ねた結果、組織全体では大きな失敗になるのです。

能力の高い社員が組織を信用できなくなる

社員が能力を隠し始める背景には、会社への信頼の低下があります。

社員が会社を信頼している場合は、すぐに報酬がなくても努力することがあります。

  • 将来評価される
  • 昇給や昇進につながる
  • 困ったとき会社が守ってくれる
  • 長期的には自分にも利益が戻る

と考えられるからです。

しかし、次の経験が重なると信頼は失われます。

  • 高い成果を出しても昇給しない
  • 改善しても上司の手柄になる
  • 忙しい人へさらに仕事が集中する
  • 頑張っても人員削減の対象になる
  • 失敗したときだけ個人責任を問われる
  • 会社の業績が良くても還元されない

この状態では、社員は会社全体の利益より、自分の負担を抑えることを優先します。

会社側から見れば利己的な行動ですが、社員側から見れば会社との関係を現実的に見直しただけです。

組織への信頼が失われると、社員は仕事を「共同事業」ではなく「最低限の交換契約」として扱うようになります。

給与分だけ働く。
それ以上の貢献はしない。

こうして組織は、社員の能力を雇っているにもかかわらず、その一部しか利用できなくなります。

「働いているフリ」は組織が生み出した演技である

仕事が早い人が能力を隠すようになると、職場では奇妙な演技が始まります。

本当は仕事が終わっていても、

  • パソコンの画面を開いておく
  • 作業を小分けにして報告する
  • すぐ返信できても時間を置く
  • 必要以上に忙しそうに振る舞う
  • 仕事を長時間かかったように見せる

といった行動が増えます。

企業は社員の時間を管理しようとします。

しかし、成果ではなく外見を評価すると、社員は成果を増やすのではなく、外見を整えるようになります。

監視を強めても、社員は監視指標に適応します。

マウスの動きを測ればマウスを動かし、オンライン時間を測ればオンライン状態を維持します。

企業が測定しているものと、本当に求めている価値が一致していないためです。

「働いているフリ」は社員が作り出した文化に見えます。

しかし実際には、忙しそうな外見を評価してきた組織が社員に求めた演技でもあります。

成果主義へ変えれば解決するとは限らない

では、労働時間ではなく成果だけで評価すればよいのでしょうか。

問題はそれほど単純ではありません。

成果主義に変えると、今度は次の問題が起こる可能性があります。

  • 数字にしやすい仕事だけが重視される
  • 難しい仕事を避ける
  • 件数を増やすため品質を下げる
  • チーム支援をしなくなる
  • 短期的な成果を優先する
  • 指標を操作する
  • 他人の成果を自分の成果として見せる

時間評価では「忙しそうなフリ」が発生します。

成果評価では「成果を出しているフリ」が発生します。

どちらも、評価指標だけを追わせると、本来の目的から外れていきます。

必要なのは、単純な成果主義ではありません。

  • 成果量
  • 品質
  • 安全
  • 改善
  • 周囲への支援
  • 知識共有
  • 長期的な貢献

を複数の視点から評価することです。

また、評価基準を社員にも理解できる形で示す必要があります。

何をすれば報われるのか分からない組織では、社員は能力ではなく、上司の機嫌や職場の空気を読むようになります。

AIは能力を隠す問題をさらに大きくする

生成AIの普及により、能力を隠す問題は今後さらに大きくなる可能性があります。

AIを使えば、これまで数時間かかっていた仕事を短時間で終えられることがあります。

私も先日、工場の上司から出されたお題に対し、自分だけで調べるなら1時間はかかりそうな題材を、チャットGPTに相談して5分程度で片付けたばかりです(-_-;)

しかし、社員がAI活用を報告した結果、

  • 仕事量が倍になる
  • 人員を減らされる
  • より高い目標を設定される
  • 給与は変わらない
  • AIの使い方だけ会社に吸収される

のであれば、社員はAIによる効率化を隠すでしょう。

これが目に見えているので、私は5分で片付けたことは隠し『いやぁ、中々大変でしたよぉ』と上司相手に演技をはじめる訳です、ああやだやだ(-_-;)

会社にとっては、社員がAIを活用して生産性を上げることが望ましいはず。

ところが、生産性向上の利益を会社だけが受け取ろうとすると、社員には改善を報告する理由がありません。

そりゃそうです、給料はあがらずに仕事量が増えてミスをした時の責任も増えるんですから、引き受ける理由が私にはない、となります。

AI時代の本当の問題は、仕事が早くなることではありません。

仕事が早くなったことで生まれた利益を、誰が受け取るのか。

という問題です。

効率化によって生まれた時間を、

  • 労働時間短縮
  • 給与や賞与
  • 学習時間
  • 改善活動
  • 柔軟な勤務

として社員にも還元しなければ、AIは生産性を上げる道具ではなく、能力を隠す動機を強める道具になる可能性があります。

有能な社員が能力を出せる組織に必要な仕組み

能力を隠させないためには、精神論ではなく制度を変える必要があります。

1.追加業務を評価へ反映する

仕事が早い人に追加の仕事を任せるなら、その量と難易度を記録し、評価へ反映させます。

「仕事ができるから任せた」で終わらせてはいけません。

2.高効率者へ時間を返す

一定の成果を出した社員に、

  • 早めの退勤
  • 学習時間
  • 改善活動
  • 柔軟な休憩
  • 次の仕事への準備時間

を認めます。

効率化の利益の一部を、時間として社員へ返す仕組みです。

3.追加業務に上限を設ける

仕事が早いからといって、際限なく追加してはいけません。

一定以上の業務は翌日に回す、他の社員へ分配するなど、負担の上限を明確にします。

4.見えにくい貢献を記録する

後輩指導、トラブル防止、品質改善、同僚支援などを評価対象にします。

件数や売上だけでは、組織を支える仕事が見えなくなります。

5.能力の低い社員にも仕事を任せる

失敗を避けるために有能な社員へ集中させ続けると、他の社員が育ちません。

多少時間がかかっても、教育を含めて仕事を分散させる必要があります。

6.効率化の利益配分を明示する

社員が改善した場合、

  • 評価が上がる
  • 賞与へ反映される
  • 自由時間が増える
  • 負担が減る
  • キャリア上の利益になる

という見返りを明確にします。

能力を発揮した結果が予測できれば、社員は安心して工夫できます。

有能な社員を見分ける方法も変える必要がある

能力を隠す社員が増えた職場では、現在の成果だけを見ても、本当に能力がある人を見分けられません。

仕事量を抑えている人の中には、能力が低い人だけでなく、

過去に能力を発揮して損をしたため、出力を調整している人

もいるからです。

上司は、単純な処理件数だけでなく、次の点を見る必要があります。

  • 問題が起きたときの判断力
  • 改善案の質
  • 他部署との調整力
  • 説明の分かりやすさ
  • 過去の経験
  • 短時間で重要部分を見抜く力
  • 周囲が困った際の対応

有能な社員が常に全力で働いているとは限りません。

むしろ、能力を安心して発揮できない職場では、有能な人ほど慎重に自分の出力を管理しています。

結論:能力を隠す社員ではなく、能力を隠すことが合理的な制度を問題にすべきである

有能な社員が能力を隠す組織では、個人と組織の合理性が食い違っています。

組織にとっては、社員が能力を最大限発揮することが望ましいでしょう。

しかし社員にとっては、能力を発揮すると、

  • 仕事が増える
  • 責任が増える
  • 基準が引き上げられる
  • 給与は変わらない
  • 失敗リスクだけ高まる

のであれば、能力を隠すことが合理的になります。

この状態で「もっと主体的に働け」「当事者意識を持て」と呼びかけても、社員の行動は変わりません。

変えるべきなのは社員の意識ではなく、能力を発揮した人へ何が返ってくるのかという制度です。

追加の仕事を与えるのであれば、評価、給与、裁量、自由時間、キャリアのいずれかを返す必要があります。

能力を発揮した人が報われると信じられる組織では、社員は改善案を出し、AIを活用し、周囲を助けます。

反対に、能力を見せるほど損をする組織では、社員は能力を隠し、仕事を長く見せ、責任を避けるようになります。

したがって、有能な社員が能力を隠しているとき、本当に問うべきなのは、

なぜこの社員はやる気を失ったのか

だけではありません。

なぜ、この組織では能力を隠すことが最も賢い働き方になってしまったのか

という問いです。

能力を隠す社員は、組織の問題を作った原因ではなく、組織の制度が生み出した結果なのです。

この論では、会社批判だけに寄せず、「追加業務を任せる会社側にも合理性がある」と認めたうえで、負担を追加する仕組みと報酬を返す仕組みの非対称性を中心に置いています。

と、なってくると明日の記事の内容は会社側からの反証になりますかね? ズバリ、社員に追加の仕事を与えるのが悪いのか、です。

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