人口が減る国では、経済成長し続けなければならないのか?

記事解剖

経済ニュースを見ていると、ほぼ毎年のように、「今年のGDP成長率は何%になるのか」という話が出てきます。

景気が良い、景気が悪い、成長率が高い、成長率が低い。

国家経済は基本的に「成長すること」が望ましいものとして語られています。

しかし、日本では人口減少がすでに始まっています。

国立社会保障・人口問題研究所の将来人口推計では、日本の人口は今後長期にわたって減少するとされ、地域別では2045年以降、東京都を含めたすべての都道府県で人口が減少する見通しです。

そこで、素朴な疑問が浮かびます。

人が減っているのに、経済だけは毎年成長し続けなければならないのでしょうか?

例えば、人口1億人の国がGDP500兆円だった。

30年後、人口が8000万人になった。

それでもGDP600兆円、700兆円を目指し続けなければならないのでしょうか。

一人当たりの生活が豊かで、十分な医療や教育を受けられ、住居も食料も確保できるのであれば、「人口に合わせて経済規模も少し小さくなっていい」という考え方もありそうです。

しかし、問題はそれほど単純ではありません。

今回は、人口が減る国は、本当に経済成長し続けなければならないのかを考えてみます。


一般にはどう理解されているか

一般的には、経済成長はした方がいいと考えられています。

GDPが増えれば、企業の売上が増える、企業利益が増える、賃金を上げやすくなる、税収が増える、社会保障費を支えやすくなる、政府債務をGDP比で小さくしやすくなる、投資が増える、雇用も増える。

だから政府は経済成長を目指します。

日本についてもIMFは、高齢化と巨額の政府債務を長期的な課題として挙げ、生産性向上や労働移動を通じて潜在成長率を高める必要性を指摘しています。2025年時点では中期的な潜在成長率を約0.5%と見込んでいました。

つまり、「人口が減っているから成長しなくていい」とは、少なくとも現在の政策体系では考えられていません。

しかし、ここには一つ大きな混同があります。

それは国全体のGDPと、一人当たりの豊かさは別のものだということです。

例えば簡単な仮定を置きます。

人口1億人、GDP500兆円、一人当たりGDP500万円だった国が10年後、人口9000万人、GDP495兆円になったとします。

国全体のGDPは1%減っています。

普通なら「経済が縮小した」と言われるでしょう。

しかし一人当たりGDPは、約550万円、約10%増えています。

国全体では縮小しているのに、国民一人当たりでは豊かになっている。

この状態は「失敗」なのでしょうか。

ここから今回の問題が始まります。


当事者Aから見るとなぜ合理的なのか

ここでは当事者Aを、政府・企業など「経済規模を維持したい側」として考えてみます。

この立場からすると、「人口が減るからGDPも減っていい」という考え方はかなり怖いものがあります。

なぜでしょう。

最大の理由は支出の多くが人口と同じ速度では減ってくれないからです。

人口が10%減ったから、道路を10%短くする、上下水道管を10%撤去する、病院を10%小さくする、警察・消防の稼働率を10%減らす、防衛費を10%減らす、国債残高を10%消す。

こういうことはできない訳です。

むしろ高齢化が進めば人口が減っているのに、医療費、介護費、年金、高齢者向け交通などの負担は増える可能性があります。

IMFも、日本では2030年以降、金利負担と高齢化に伴う医療・介護支出によって政府債務が再び上昇する可能性を指摘しています。

つまり政府からすると、人口は減っている、でも必要なお金は同じようには減らないという問題があります。

だから一人当たりの生産力を上げて、少ない人数で大きな経済を支えたい、となります。

企業も同じです。

例えば社員100人で売上10億円だった企業から、10年後には退職によって社員が80人になる。

だから「社員が2割減ったので売上も8億円でいい」とは簡単には言えません。

家賃、設備費、システム費、研究開発費、借入金、管理部門。

こうした固定費があります。

だから企業側は、社員80人で10億円を維持しようとします。

つまり、人口減少社会ではむしろ一人当たり生産性向上への圧力が強くなります。


当事者Bから見ると何が違うのか

では当事者Bを生活者・労働者として考えてみましょう。

こちらから見ると話が変わります。

生活者が欲しいのは必ずしも「日本のGDPが700兆円になること」ではありません。

欲しいのは、給料で十分生活出来る暮らし、住居費、医療、食料、休暇、老後に困らないこと、子育て。

こういったところが求めるメインでしょうか。

ちょっと極端な例を出してみますか。

国A。

GDP1000兆円。

人口2億人、一人当たり500万円。

国B。GDP600兆円、人口1億人。一人当たり600万円。

経済規模では国Aの方が大きい。

しかし一人当たりでは国Bの方が豊かです。

生活者にとって重要なのは国の順位より、自分がどれだけ財・サービスを利用できるかです。

さらにもう一つあります。

人口が減れば、必要なものの総量も減ります。

人口が20%減れば、住宅、食料、衣服、自動車、学校、オフィスなど、一部では必要量も減るでしょう。

そう考えると、GDPの総額を絶対に維持しなければならないという発想そのものに疑問が出てきます。

人口8000万人の国が、人口1億2000万人だった時代と同じ量の住宅や商品を生産する必要はありません。

だから生活者側から見ると総GDPを維持することより、一人当たり所得と生活の質を維持する方が重要という考え方になります。


全員が同じ行動をしたらどうなるか

では、「人口が減るのだから経済も縮小して構わない」と政府も企業も国民も考えたらどうなるでしょう。

最初は合理的に見えます。

人口が1%減る、需要も1%減る、企業も1%縮小する、政府サービスも1%減らす。

一見すると均衡しています。

しかし問題があります。

企業が「将来市場が縮小する」と考えれば、工場を建てない、研究開発を減らす、新店舗を出さない、社員を採らない、という行動を取ります。

すると、投資減少→雇用減少→所得減少→消費減少→企業売上減少→さらに投資減少

このような悪循環が起こる可能性があります。

人口が1%減っただけなのに、経済が2%、3%縮むこともあり得る訳です。

つまり人口に合わせた計画的縮小と、経済が勝手に縮む衰退は別物なのです。

ここは今回の重要なポイントでしょう。

人口減少そのものは避けられないとしても、それを理由に企業も政府も投資を停止すると、人口以上の速度で経済が縮小する可能性があります。


一次効果の次に何が起きるか

人口減少の一次効果は比較的分かりやすい。

人が減る→消費者が減る→労働者が減る。

ここまでは誰でも想像できます。

しかし、本当に重要なのはその次です。

例えばスーパー。

人口1万人の地域にスーパーが2店舗あります、人口7000人になった、一店舗閉店します。

これは合理的です。

しかし残った住民からすると、スーパーまで遠くなります。

買い物が不便になる。

高齢者が住みにくくなる→さらに転出する→人口が6000人になる→病院も撤退する→さらに住みにくくなる。

こういうことがあります。

つまり、人口減少→サービス縮小→居住魅力低下→人口減少加速という二次効果が発生します。

企業でも同じです。

人口減少→人手不足→教育する暇がない→新人が育たない→ベテランへ仕事集中→退職→さらに人手不足。

以前の記事解剖室で考えた、「人手不足の会社ほど新人教育ができない」という構造そのものです。

人手不足の会社ほど新人教育ができないのはなぜ?「教える時間がない」が人手不足を悪化させる理由
なぜ人手不足の会社ほど、新人を教育する時間がなくなるのか。教える人の不足、ベテランへの仕事集中、新人の成長停滞、離職によって人手不足がさらに悪化する構造を解説。人材育成を「未来の生産能力への投資」として考察します。

人口減少社会で怖いのは、人数が減ることそのものより、人数減少が、社会を維持する能力まで壊してしまうことなのかもしれません。


その変化に人間はどう適応するか

では人間はどう対応するでしょう。

おそらく「人数を戻す」だけでは対応しません。

まず起きるのは、省人化でしょう。

セルフレジ、無人店舗、AI、ロボット、自動運転、オンライン行政、遠隔医療、工場自動化。

これらが進みます。

IMFも、日本では高齢化が自動化を促してきた可能性を指摘しており、若年労働者の比率が低下した産業ほどソフトウェア投資が増える傾向を分析しています。

記事解剖室で以前扱った「人手不足なのに、なぜAIで人員削減するのか?」という現象もここにつながります。

人手不足なのに、なぜAIで人員削減するのか?
人手不足が続く一方で、AIを使った人員削減も進んでいます。一見矛盾する二つの現象がなぜ同時に起こるのか。職種ごとのミスマッチと企業側の合理性から整理します。

人が足りないからAIを使う。

AIを使うから必要人数が減る。

人手不足と人員削減は矛盾しません。

次に起きるのは、仕事そのものを減らすことでしょう。

これは以前考察したファミマとセブンの違いともつながります。

ファミマとセブンに見る「省力化」と「仕事を捨てる経営」
「人が足りない」とここ数年、日本企業について何度も聞くようになった言葉です。採用しても人が集まらない。若年人口は減っている。最低賃金は上昇する。高齢化も進む。それならば素朴な疑問が浮かぶ。人が減るなら、仕事も減らせばいいのではないか。はい、…

人が足りない→人を増やす。

だけではありません。

人が足りない→営業時間を減らす→サービスを減らす→店舗を統合する→業務をやめる。

こういう選択肢も出てきます。

人口減少社会では、

どうやって現在のサービスを全部維持するか。

ではなく、

何を残し、何を捨てるか。

という意思決定が重要になります。


反論・例外・この仮説が成立しない条件

ここまで読むと「ではGDPは減ってもいいのでは?」と思うかもしれません。

しかし、それにも条件があります。

条件1 人口より速くGDPが減らない

人口が毎年1%減り、GDPも1%減る。

なら、一人当たりGDPはほぼ変わりません。

しかし人口1%減少、GDP3%減少。

なら、国民は明確に貧しくなります。

「人口減少だから経済縮小は仕方ない」という言葉で、生産性低下まで正当化してはいけません。


条件2 一人当たり生産性が上がる

人口減少社会では、一人の労働者が支える人数が増える可能性があります。

特に高齢化社会では働く人が減る、支えられる側が増える、という問題があります。

そのため、労働者一人当たりの生産量、一時間当たりの付加価値、資本設備、AI、ロボットなどの生産性はむしろ重要になります。

つまり、国全体は成長しなくてもいい、としても、

一人当たりの生産力も成長しなくていい。

とはなりません。


条件3 政府債務を維持できる

さらに日本には巨額の政府債務があります。

名目GDPが縮小する一方で債務が維持されれば、債務÷GDPは悪化します。

税収も縮小する可能性があります。

したがって、既に大きな債務を持つ国ほど「縮小しても大丈夫」とは簡単に言えない。

これは人口減少国ごとに条件が違う部分です。


条件4 輸入品を買える

日本は、エネルギー、資源、食料、原材料などを海外から大量に輸入しています。

国内GDPが縮小しても、海外から必要なものを買えるだけの所得・輸出力・海外資産収益があれば問題は小さい。

逆に、国内生産力まで弱まり、外貨を稼げなくなれば、人口が減った以上に生活水準が低下します。


条件5 人口密度低下のコストを処理できる

人口が8000万人になったからといって、日本列島が20%小さくなるわけではありません。

北海道から沖縄まで道路があります、水道があります、電力網があります、自治体があります。

人口密度が低下すると、一人当たりインフラ維持費が上がる可能性があります。

だから人口減少国では、国土の使い方自体を変える必要も出てくるでしょう。

コンパクトシティ、自治体統合、インフラ集約、公共交通再編。

こうした政策が重要になります。


5~10年続いた場合どうなるか

では日本で、人口減少と低成長が今後5~10年続いたとします。

おそらく経済は一様には縮小しません。

まず、人口減少地域と人口集積地域の差が広がります。

地方では、スーパー撤退、病院統合、学校統合、公共交通縮小、金融機関統合、ガソリンスタンド減少などが進むでしょう。

一方、東京圏、大阪圏、地方中核都市などへサービスが集中します。

つまり人口減少社会では、「日本全体が均等に20%小さくなる」のではありません。

残る地域。

縮む地域、消えるサービス、伸びる産業が分かれていきます。

企業でも同じです。

人手不足でも利益率の高い仕事には人を投入する。

利益率の低い仕事は、自動化、値上げ、縮小、撤退する。

以前の記事解剖室で「人手不足なのに、なぜ会社は給料を上げないのか?」を考察しました。

人手不足なのに、なぜ会社は給料を上げないのか?採用難が続く企業の構造
「人が足りない」と言いながら、なぜ会社は給料を上げないのか?一人の賃上げが既存社員全体の給与に波及する問題から、採用難、離職、人材育成不足、省人化まで。企業には合理的に見える行動が、なぜ社会全体では人手不足を悪化させるのかを考察します。

その際、給料を上げて人を増やすだけではなく、必要人数そのものを減らすという企業行動を考えました。

人口減少国家でも同じことが起こるでしょう。

国家全体が人口を増やすことだけでなく、必要な仕事の量を減らす方向へ向かいます。

その結果2030年代には、「経済成長率」だけを見るよりも一人当たり実質所得。

労働時間、可処分所得、生産性、社会保障負担、住宅費、公共サービスへのアクセス、インフラ維持費といった指標の方が重要になってくるかもしれません。



記事解剖室の結論

では、

人口が減る国では、経済成長し続けなければならないのでしょうか。

記事解剖室の結論としては、

総GDPを永遠に増やし続ける必要は必ずしもない。しかし、一人当たりの生産力と生活水準まで成長を止めてよいわけではない。

となります。

人口が1%減っている国で、

GDPが0.5%減った。

これは必ずしも悪いニュースではありません。

一人当たりでは成長しているからです。

逆に、人口1%減、GDP2%減。

なら、一人当たりでも貧しくなっています。

こちらは問題です。

つまり人口減少社会では、「GDPは増えたか」だけではなく人口減少を差し引いて何が残ったのかを見る必要があります。

さらに日本の場合、もう一つ重要な問題があります。

人口が減れば、社会も自然に小さくなるとは限りません。

道路は残る、橋も残る、水道管も残る、政府債務も残る、高齢者もいる、病院も必要、防衛も必要。

だから人口減少社会は、単純に縮小すれば楽になる社会ではありません。

むしろ、少ない人数で巨大な既存社会を維持しなければならない社会です。

そこで必要になるのは、無理に総GDPだけを増やすことではなく、一人当たり生産性を上げる。

AI・ロボットを使う。

不要な仕事をやめる。

インフラを集約する。

都市を集約する。

行政を効率化する。

必要なサービスへ人材を移す。

という「縮み方の設計」でしょう。

言い換えるなら人口減少国が目指すべきものは、「成長し続ける巨大な国」ではなく、「人数が減っても一人当たりでは豊かであり続ける国」なのかもしれません。

そしてそのためには少し皮肉なことですが、経済全体の成長にこだわらなくなるためにも、一人一人の生産性は成長し続けなければならない。

人口が減るから成長は不要なのではない。

人口が減るからこそ「何を成長させ、何を縮小させるのか」を選ばなければならない。

GDP、人口、企業数、店舗数、自治体数、道路、学校。

これらを全部維持することを「豊かさ」と呼ぶ時代から少ない人数で、必要なものを無理なく維持し、一人当たりの生活を豊かにすることを「成長」と呼ぶ時代へ。

人口減少国家に必要なのは、経済成長を諦めることでも、GDP成長にしがみつくことでもない。

「国の大きさ」から「一人当たりの豊かさ」へ、成長の定義そのものを変えること。

それが、人口減少社会の経済を考えるうえでの一つの答えなのではないでしょうか。

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