人手不足なのに、なぜ会社は給料を上げないのか?採用難が続く企業の構造

記事解剖

「人が足りない」「募集しても応募が来ない」「若い人が入ってこない」

最近、こうした話を聞くことは珍しくありません。

私の勤める工場では2人、定年と親の介護で二ヵ月前に離職されましたが、新しい人が未だに来ませんからね(-_-;)

普通に考えれば、給料を上げればいいのではと思います。

商品が売れなければ値段を下げる、原材料が不足すれば価格が上がる。

人材についても同じなら、人が足りない→労働力の価格である賃金が上がる→応募者が増える

こうなりそうです。

ところが現実には「人手不足だ」と言いながら、給料はほとんど変えず「求人を出しても人が来ない」と悩み続ける会社があります。

なぜなのでしょうか。

今回は、この一見すると不可解な行動を「会社がおかしい」で終わらせず、会社側からすると、なぜその行動が合理的に見えてしまうのか。

そしてすべての会社が同じ合理的行動を取った場合、何が起きるのかというところまで考えてみます。


一般にはどう理解されているか

一般的には、かなり単純な説明になります。

人が来ないのは給料が安いからだ。

確かにこれは間違っていません。

2026年6月の日銀短観を見ると、雇用人員判断DIは全規模・全産業でマイナス37。

特に中小企業ではマイナス39となっており、企業側の人手不足感はかなり強い状態が続いています。

また、帝国データバンクの2026年度調査では、賃金を改善する企業がその理由として挙げたトップは「労働力の定着・確保」74.3%でした。

つまり企業自身も、給料を上げなければ人を確保しにくいことは理解しているわけです。

にもかかわらず、一部企業は十分な賃上げをしません。

このため労働者側から見ると、「人手不足と言いながら給料を上げないのだから、本気で人を採用する気がないのでは?」という疑問が出てきます。

しかし、会社側から見ると少し違った景色が見えます。


当事者A――会社から見ると、なぜ合理的なのか

会社が賃金を上げない最大の理由は、採用する一人だけの給料を考えているわけではないからです。

例えば社員100人の会社があるとします。

現在の月給が25万円。

しかし求人を出しても人が来ない。

そこで「月給30万円なら応募が来るのではないか」と考えたとします。

新しく採用する一人について見れば、増える人件費は月5万円、年間60万円です。

これだけなら、それほど大きな負担ではありません。

ところが問題があります。

新入社員だけ30万円にしたら、既存社員はどう思うでしょう。

5年間働いている社員の月給26万円だとすると、今日入ってきた新人の月給30万円。

こうなると当然、

「なぜ新人の方が給料が高いんだ?」

こうなりますよね。

すると会社は、新人だけでなく既存社員の賃金まで調整しなければならなくなる可能性があります。

一人60万円の問題だったものが、100人×年間数十万円、場合によっては数千万円の問題になります。

これが企業にとって非常に大きい。

つまり会社から見ると、求人賃金を上げるという行為は、求人広告の数字を一つ変更するだけではありません。

社内全体の賃金体系を書き換える行為になり得るわけです。

実際、2026年度の帝国データバンク調査でも、中小企業では大企業との賃金格差による採用難だけでなく、既存社員との処遇調整が課題として挙げられています。

さらに、賃上げは一度行うと簡単には戻せません。

設備投資なら、今年1000万円使って終わり。

広告費なら、来年削減できます。

しかし基本給を月3万円上げれば来年も、再来年も、その先も支払い続ける必要があります。

しかも、社会保険料、賞与、残業単価、退職金制度などまで連動する可能性があります。

だから経営者から見ると、人が欲しい。

しかし、固定費は増やしたくない。

この二つが同時に存在します。

一見矛盾していますが、企業経営という立場だけから見れば、それほど不思議ではありません。


当事者B――労働者から見ると何が違うのか

しかし労働者側から見ると話はまったく違います。

会社は「人が来ない」と言います。

労働者は「その条件では行きたくない」と言っています。

ここで重要なのは、人が存在しないわけではないということです。

より正確には、現在提示している条件で働いてくれる人がいない、という可能性があります。

例えば、月給23万円、年間休日105日、交代勤務、重量物の運搬あり、夏は暑く、駅から遠い、昇給少なめ。

この条件で求人を出して、「人が来ません」と言っていたとします。

しかし月給35万円ならどうでしょう。

あるいは、年間休日125日。

残業月5時間。住宅補助あり。

これならばどうでしょうか、応募者の数が変わる可能性があります。

すると労働者側から見れば、「人手不足」という言葉自体が少し奇妙に見えます。

本当は人間が不足しているのではなく、その会社が提示する条件で働きたい人が不足しているというケースが含まれているからです。

これは商品市場に置き換えると分かりやすいでしょう。

去年起こっていた、令和の米騒動の記憶は新しいので、現在の米の価格を例にあげてみましょう。

仮定として、消費者が「5kg2000円以下でしか米を買いたくない」と言っていたとしましょう。

しかし、市場に米は9月時点で5㎏2400、2500円前後で売られ始めています。

この状態は「米不足」なのでしょうか。

それとも、希望価格と市場価格が合っていないのでしょうか。

労働市場でも、似た問題が起きます。


全員が同じ行動をしたらどうなるか

一社だけなら「給料を上げずに、いい人が応募してくるまで待つ」という戦略は成立する可能性があります。

運よく、近くに引っ越してきた人、前職を辞めた人、家庭事情で勤務地を限定している人、何らかの事情で高い給料を求めていない人。

そうした人材を採用できるかもしれません。

つまり他社が人材を育て、他社が給料を払い、何らかの理由で転職市場に出てきた人を安く採用するという戦略です。

一社だけなら可能でしょう。

しかし、すべての会社がこれを始めたらどうなるでしょう。

会社A
「賃金は上げたくない。経験者を採りたい」

会社B
「うちも同じ」

会社C
「うちも」

会社D
「新人教育はコストが掛かるので即戦力を採る」

すると、安く採用できる経験者を全企業が奪い合うことになります。

当然、足りなくなります。

ここでこれまでの記事解剖室で扱った「人材育成のフリーライダー問題」と接続します。

自社では人材を育てたくない、しかし経験者は欲しい。

つまり、誰か別の会社が育てた人を採りたい。

一社なら合理的ですが全社がそうすると、誰も経験者を作らなくなります。

これは記事解剖室の「AIが新人の仕事を奪うと、なぜ経験者不足が起きるのか?」で考察した構造とほぼ同じです。

AIが新人の仕事を奪うと、なぜ経験者不足が起きるのか? 企業を待つ新人育成の矛盾
AIで新人の仕事を減らし、経験者だけを採用する。それは本当に持続可能なのか。サイバーセキュリティ業界で始まった『経験者重視』の採用から、AIが新人の成長機会を奪い、将来の経験者不足を招く可能性を考察する。

そこでは、

新人を採らない→教育費が減る→短期的には合理的→しかし10年後の経験者が減る

以上の問題を考えました。

賃金についても、同じ構造が存在します。

賃金を上げない→短期的には人件費を抑えられる→他社より安く採れれば得をする→しかし全社がやれば誰も採れなくなる


一次効果の次に何が起きるか

では、給料を上げないまま人手不足が続いた会社では何が起きるでしょう。

最初に起こるのは、単純な欠員です。

しかし問題はその次です……10人必要な職場を8人で回す。

すると、一人当たりの仕事量が増えます。

残業が増え、休日出勤が増える、教育時間が減り、改善活動が止まる、ベテランに仕事が集中する。

そして、疲れた社員が辞めます。

10人必要→8人しかいない→一人当たり負担増加→退職→7人になる→さらに負担増加

上記の循環に入る可能性があります。

ここで皮肉なのは、給料を上げないことで人件費を節約した結果、既存社員まで失うことです。

会社は、年間数十万円の賃上げを避けた。

しかし退職者が出れば、求人広告費、採用費、教育費、新人が戦力になるまでの生産性低下、残った社員の残業代、管理職の負担、事故やミスのリスクまで発生します。

つまり、給料を上げない方が安いと思っていた戦略が、二次効果まで含めると給料を上げない方が高くつく可能性があります。

問題は、その費用が同時には見えないことです。

給料は毎月、人件費としてはっきり数字に出ます。

しかし、疲労、離職、教育不足、ノウハウ消失、改善活動の停止、採用難による機会損失……こういったものは、非常に見えにくい。

だから経営判断では目に見えるコストを削って、目に見えないコストを増やすということが起こります。


その変化に人間はどう適応するか

そして記事解剖室で何度も扱ってきた、人間の制度への適応が始まります。

会社が変わらないなら、社員の側が変わります。

まず若い人は、求人票を比較します。

給与が安い、休日が少ない、昇給が小さい、将来性が見えない。

そう判断すれば、最初から応募しません。

次に既存社員は、会社を観察します。

人が辞めても補充されない、忙しくなっても給料は同じ、仕事ができる人ほど仕事が増える。

そこで社員は学習します。

頑張れば状況が改善するのではなく、自分の負担が増える。

こうなると、記事解剖室で考察してきた、

「能力を隠す社員」が生まれます。

以前の記事では、

能力を発揮する→追加業務を与えられる→報酬は変わらない→能力を見せない方が合理的になる

上記の構造を考えました。

人手不足の職場では、この傾向がさらに強くなる可能性があります。

仕事を速く終わらせれば、人が足りない別工程を手伝わされ、新人教育を任される、欠勤者の穴埋めを頼まれる、改善活動を任される。

それでも給料がほとんど変わらないなら、社員側も合理的に適応します。

会社:「人手不足だから協力してほしい」

社員:「協力すると恒常的に自分の仕事になる」

そう学習した瞬間、善意による穴埋めは減っていきます。

つまり人手不足は、人数だけの問題ではなくなります。

社員の協力意欲まで不足する。

ここまで来ると非常に厄介です。


反論・例外――必ず給料を上げればいいわけではない

ここまで読むと「だったら全部の会社が給料を大幅に上げればいい」という話に見えるかもしれません。

しかし、そこまで単純ではありません。

帝国データバンクの2026年度調査では、賃金を改善しない企業の理由として最も多かったのは、「自社の業績低迷」55.1%でした。

つまり本当に、上げたくても上げられない企業も存在します。

特に、価格転嫁できない下請企業、利益率の低い業種、人件費比率の高いサービス業、地方の小規模企業などでは賃金を10%上げれば利益が消える、というケースもあるでしょう。

また、人が来ない理由が給料ではない場合もあります。

勤務地、夜勤、危険作業、企業文化、上司、キャリア形成、休日、仕事内容。

こうした条件が原因なら、給与だけを上げても解決しません。

さらに、500万円だった年収を600万円にすれば応募が倍になる、という単純な比例関係でもありません。

したがって、この考察の結論は、

人手不足なら必ず給料を上げろ

ではありません。

より正確には、

人が来ない原因が待遇にあるにもかかわらず、待遇を変えないまま「人手不足」と説明し続けても問題は解決しにくい。

ということです。

そしてもう一つ重要なのは、給料を上げられない会社には、「その事業モデル自体が現在の労働市場に適合しているのか」という別の問題が存在することです。

人件費を払えない仕事を、人間を安く使うことで成立させ続ける。

人口が増えている時代なら可能だったかもしれません。

しかし労働人口が減る社会では、そのモデル自体が成立しなくなる可能性があります。


この状態が5~10年続いたらどうなるか

では、この状態が2030年代まで続いたらどうなるでしょう。

おそらく企業は、単純に人を採用する以外の方法へ移っていきます。

まず、省人化、自動化、AI、ロボット、セルフサービス、業務削減、営業時間短縮、事業撤退。

これらの事象が進みます。

すでに記事解剖室では、「人手不足なのに、なぜAIで人員削減するのか?」という、一見矛盾した問題を考察しました。

人手不足なのに、なぜAIで人員削減するのか?
人手不足が続く一方で、AIを使った人員削減も進んでいます。一見矛盾する二つの現象がなぜ同時に起こるのか。職種ごとのミスマッチと企業側の合理性から整理します。

そこで出した一つの答えは人手不足だからこそ、必要人数を減らしたいという企業側の合理性でした。

給料を上げて10人採用する。

それが難しいなら、設備投資して必要人数を7人にする、AI導入で5人にする、事業そのものを縮小して3人にする。

こちらへ企業は向かいます。

すると長期的には、人手不足が賃金上昇だけを生むとは限らないことになります。

むしろ、人手不足→賃上げ回避→採用難→省人化投資→必要人数削減

こういう経路も存在します。

さらに、それでも自動化できない仕事があります。

介護、建設、物流、設備保全、高度技能職、対人サービス。

こうした仕事では最終的には賃金を上げるか、外国人労働者を増やすか、サービス価格を上げるか、サービスそのものを縮小するか、いずれかを選ばざるを得なくなるでしょう。

つまり今後の人手不足社会では、すべての会社が現在の形のまま存続するという前提自体が崩れていく可能性があります。


既存の記事解剖室の考察とどうつながるか

この問題は、これまで記事解剖室で扱ってきたテーマをかなりきれいにつなげられます。

まず「人手不足なのに、なぜAIで人員削減するのか?」では、人手不足は人数全体ではなく、必要な人材が必要な場所にいないミスマッチでもあると考えました。

今回の記事ではさらに、

人がいないのではなく、現在の条件で働きたい人がいない

という「価格のミスマッチ」を加えられます。

次に「AIが新人の仕事を奪うと、なぜ経験者不足が起きるのか?」では、各企業が新人教育を避けて経験者だけ採ろうとすると、社会全体で経験者を作る仕組みが壊れる問題を考えました。

今回も同じです。

AIが新人の仕事を奪うと、なぜ経験者不足が起きるのか? 企業を待つ新人育成の矛盾
AIで新人の仕事を減らし、経験者だけを採用する。それは本当に持続可能なのか。サイバーセキュリティ業界で始まった『経験者重視』の採用から、AIが新人の成長機会を奪い、将来の経験者不足を招く可能性を考察する。

各企業が、「他社より給料を上げずに、良い人材だけ採りたい」と考える。

一社なら成立します。

しかし全社がそれを始めれば成立しません。

そして「なぜ有能な社員ほど能力を隠す組織が生まれるのか?」ともつながります。

なぜ有能な社員ほど能力を隠す組織が生まれるのか?仕事が早い人が損をする組織の構造
仕事が早いほど仕事が増え、報酬は変わらない。そんな職場では、有能な社員ほど本当の能力を隠す方が合理的になります。能力隠しが起きる組織の構造と、その副作用を考えます。

人手不足を既存社員の善意と追加業務で埋め続ければ、

社員はやがて、

能力や余裕を見せると仕事を追加される

と学習します。

さらに、「人事評価はなぜ社員の行動を歪めるのか?」で扱った人間は会社が期待する通りに行動するのではなく、制度から自分に有利な行動を学習するという問題にも接続します。

人事評価はなぜ社員の行動を歪めるのか?働いているフリ・成果主義・AI評価から考える
人事評価はなぜ社員の行動を歪めるのか、働いているフリ・成果主義・AI評価から考察しています。

つまり今回の人手不足問題も、単なる採用問題ではありません。

企業が給与制度、採用制度、評価制度、教育制度、仕事配分をどう設計しているかによって、社員と求職者が行動を変えていく問題です。


記事解剖室の結論

「人手不足なのに、なぜ会社は給料を上げないのか?」

この問いに対して最も単純な答えは、「人件費を増やしたくないから」でしょう。

しかし、それだけでは少し浅い。

会社側から見ると、

一人の採用給与を上げることが、既存社員全体の賃金体系を変える可能性があります。

一度上げた基本給は簡単には戻せません。

だから、今の給料のまま採れる人を探すという行動は、一社単位では合理的です。

しかし問題は、全企業が同じ行動を取った場合です。

全社が、安く、即戦力で、経験豊富で、辞めにくい人を欲しがる。

しかし、誰も新人を育てない。

誰も賃金を先に上げない。

誰も教育コストを負担したくない。

そうなると、企業が欲しがっている人材そのものが市場から消えていきます。

これは、人材市場におけるフリーライダー問題と考えることもできます。

そして人が採れなければ、既存社員に仕事が集中します。

既存社員は、「頑張っても給料が増えるのではなく、仕事が増えるだけ」と学習します。

すると今度は、能力を隠す、転職する、管理職を避ける、余計な仕事を引き受けない。

このような適応が始まるでしょう。

企業はさらに、「最近の社員は協力的ではない」と感じるかもしれませんが社員側から見れば、会社が作った制度に合理的に適応しているだけかもしれません。

だから本当の問いは、「なぜ人が来ないのか?」ではないのでしょう。

むしろ、

「この会社が提示している条件で働きたい人が不足しているのはなぜか?」

と問い直す必要があります。

そして、さらに一歩進めるなら、

「現在の人件費でしか成立しない事業は、人手不足社会でも本当に存続可能なのか?」

ここまで考える必要があります。

人口が多く、働き手が企業を選びにくかった時代には「人が来なければ別の人を採る」で済みました。

しかし働き手そのものが減る社会では、企業もまた労働者から選ばれる側になる。

人手不足とは、単に人の数が足りなくなる現象ではありません。

企業と労働者の力関係、賃金体系、教育制度、仕事の設計、そして最終的には、「安い労働力が存在することを前提に作られた企業モデル」そのものを問い直す現象なのかもしれません。

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