会社で最も仕事ができる人。
処理が速く、ミスが少ない。
顧客対応もうまくて、トラブルにも強いので、周囲からの信頼も厚い。
そういう人がいれば、「次の管理職はこの人だろう」と考えるのは自然です。
実際、多くの会社では一般社員として高い成果を出した人が、
主任、係長、課長、部長、という具合に管理職へと昇進していきます。
一見すると合理的……しかし、少し考えると奇妙な点があります。
現場社員として求められる能力と管理職として求められる能力は、本当に同じなのか、と。
営業成績が高い人が、他人の営業成績を上げられるとは限らない。
仕事が速い人が、仕事の遅い人を育てられるとは限らない。
野球で名選手が名監督になるとは限らないのと同じです。
自分で問題を解決できる人が、他人に問題解決を任せられるとは限りません。
だとすると、「仕事ができるから昇進させる」という人事制度は、優秀な現場社員を失い、同時に優秀とは限らない管理職を作る制度になっている可能性があります。
では、仕事ができる人を昇進させることは、本当に正しいのか。
今回はこの部分について考察したいと思います。
一般にはどう理解されているか
一般的には、成果を出した人が昇進するのは当然と理解されています。
会社としても、高い成果を出した人、責任感がある人、仕事をよく理解している人、部下から信頼されている人。
こうした社員を管理職にするのは自然に見えます。
逆に、仕事のできない人を管理職にする会社があれば「なぜあの人が?」と不満が出るでしょう。
昇進にはもう一つ意味があります。
それは報酬。
長年頑張った、成果を出した、だから役職を与える、給料を上げる、権限を増やす。
つまり昇進には、「よく働いた社員へのご褒美」という意味も含まれています。
ここまでは合理的です。
しかし問題は、「評価」と「配置」が混ざっていることです。
成果を出した人を高く評価することと、その人を管理職にすることは本来は別の判断です。
ところが多くの組織では、この二つが同じになっています。
当事者A――会社から見るとなぜ合理的なのか
会社側からすると、仕事のできる社員を昇進させることには多くの利点があります。
まず、能力が分かっている、社内事情を理解している、業務経験がある、他の社員から見ても納得されやすい。
外部から管理職を採用するより安全です。
さらに、昇進を報酬として利用できます。
社員に、頑張れば管理職になれるという道を示せば、仕事への動機にもなります。
会社にとって非常に扱いやすい制度です。
そして何より管理職候補を選ぶときに、現在の業績という数字が使えます。
営業なら売上、工場なら生産性、開発なら成果物、事務なら処理能力。
これらは比較できます。
一方「この人が管理職になったとき、部下を育てられるか」は事前には測りにくい。
だから会社は、測れる指標で人を選ぶ。
その結果、現場成績の高い人が昇進します。
これは選考制度としては非常に合理的です。
ただし、「選びやすい人」と「管理職として適切な人」が一致するとは限りません。
ここに問題があります。
当事者B――昇進する本人から見ると何が違うのか
では、仕事のできる社員本人から見てみましょう。
例えば、非常に優秀な技術者がいたとします。
その人は、機械を直すのが得意、品質問題を発見するのが得意、現場判断も速い。
会社は「優秀だから班長にしよう」と考えます。
さらに成果を出すと、「では係長にしよう」となります。
ところが管理職になると、仕事の中身が変わります。
自分で直す仕事から、誰に直させるかを決める仕事になる訳です。
自分で品質を見る仕事から、品質を守る仕組みを作る仕事になります。
自分で問題を解決する仕事から、部下に問題を解決させる仕事になる。
つまり、優秀だった能力を使う時間が減る。
そして代わりに、人事評価、部下育成、勤務管理、他部署調整、会議、トラブル報告、予算管理。などが増えます。
本人からすれば、一番得意だった仕事から外された、ということにもなる可能性もある訳です。
さらに厄介なのは昇進すると、自分で仕事をする能力が高いほど、部下の仕事が遅く見えることです。
すると「自分でやった方が早い」となります。
結果、部下の仕事まで自分でやる、管理職の仕事もする、仕事量が増える、本人は疲れる、部下は育たない……という状態が起こります。
全員が同じ行動をしたらどうなるか
ここからが重要です。
会社全体で「最も仕事のできる人を管理職にする」を徹底したとします。
すると各部署で、最も優秀な現場社員が次々と現場を離れます。
営業なら、トップ営業マンが営業をしなくなる。
工場なら、最も熟練した作業員が現場から離れる。
ITなら、最も優秀なエンジニアがコードを書かなくなる。
研究なら、優秀な研究者が会議と人員管理をするようになる。
すると、現場から最も生産性の高い人材を順番に抜いているとも言えます。
しかも管理職になった全員が、管理職として優秀とは限りません。
その結果、現場では優秀な実務者が減る。
管理職には、必ずしも管理能力が高くない人が増えるという二重の損失が起こり得ます。
これは、いわゆる「ピーターの法則」と呼ばれる考え方にも近いものです。
人は、現在の職位で優秀だから昇進し、次の職位でも優秀ならまた昇進する。
そして最終的に、自分が十分な能力を発揮できない役職で昇進が止まるという考え方です。
極端に言えば、
組織は、優秀な人を「優秀ではなくなるポジション」まで押し上げる仕組み
になり得ます。
一次効果の次に何が起きるか
仕事のできる社員を昇進させた一次効果は、優秀な人材が管理職になったです。
会社としては成功に見えます、しかし二次効果があります。
まず、その人がやっていた仕事を誰かが引き継ぎます。
しかし同じ能力があるとは限りません。
現場生産性が下がる。
次に、新しい管理職が部下へ仕事を任せるより自分でやった方が速いと考える可能性があります。
すると、どうなるでしょう?
管理職が実務を抱える→部下が育たない→管理職へさらに仕事集中→マネジメント時間減少→部下がさらに育たない。
上記の循環が起きることで、さらに管理職本人が疲弊します。
そして、管理職になりたくないという社員が増える可能性があります。
周囲は昇進した社員を見ています。
昇進前:仕事はできる、残業は少ない、自分で仕事をコントロールできる。
昇進後:会議、部下の問題、休日連絡、責任増加、残業増加、給与増加は限定的。
この姿を見れば若手や中堅は「昇進しない方が得ではないか」と学習します。
ここまで来ると、優秀な人を昇進させる制度が逆に、優秀な人ほど昇進を避ける制度になる可能性があります。
その変化に人間はどう適応するか
人は人事制度にも適応します。
もし「仕事ができると管理職にされる」という会社なら、社員の行動は大きく二つに分かれます。
一つ目は昇進を狙う社員。
目立つ仕事をする、上司に成果を示す、責任の大きい仕事を引き受ける……要するに、管理職候補として行動します。
もう一つは、管理職になりたくない社員。
この人たちは、優秀すぎることを見せないという行動を取る可能性があります。
仕事を早く終えても言わない、余計な改善提案をしない、管理業務を避ける。
専門職を希望する、昇進試験を断る。
さらに、より専門職として評価される会社へ転職するという選択も出てきます。
つまり、昇進が唯一の報酬である会社ほど、管理職になりたくない優秀な社員を失う可能性があります。
企業側から見ると、優秀だから昇進させたい。
社員側から見ると、優秀だからこそ専門職として働きたい。
このようなズレが生まれます。
反論・例外・この仮説が成立しない条件
もちろん、仕事のできる人を昇進させてはいけないという話ではありません。
現場能力と管理能力が両方高い人も存在します。
例えば、仕事ができる、説明がうまい、部下を待てる、仕事を任せられる、感情的にならない、他人の成果を自分の成果として喜べる、長期的に人を育てられる。
こうした人であれば、優秀な実務者から優秀な管理職になる可能性は高いでしょう。
また、小規模企業では管理職も実務をする必要があります。
プレイングマネージャー型なら、現場能力の高さがそのまま有利になります。
さらに、管理職になる前にリーダー、主任、プロジェクト責任者などを経験させマネジメント能力を試す会社なら、昇進失敗を減らせます。
そして重要なのは、専門職コースが存在する会社です。
管理職にならなくても、専門性を高めれば、給与、地位、評価を上げられる。
この仕組みがあれば、優秀だから管理職にするしかないという問題はかなり弱くなります。
5~10年続いた場合どうなるか
この制度が5年、10年続いた場合を考えてみます。
まず、最も優秀な実務者が順番に管理職になります。
その一部は優秀な管理職になります。
しかし一部は、管理職として苦戦します。
すると組織には、現場を離れた優秀な実務者。
管理職としては平均的な元優秀社員。
そして、十分育成されていない若手という状態が生まれる可能性があります。
さらに時間が経つと、社員も制度を学習します。
管理職になりたい人は、管理職向けの行動を取る。
管理職になりたくない人は、昇進しない方法を覚える。
特に高度な専門人材ほど、「管理職にならなければ給料が上がらない会社」を避ける可能性があります。
結果として専門能力の高い人が流出し、会社に残る優秀層が、「管理職を希望する人」に偏っていく。
ここで注意すべきなのは、管理職になりたいことと、管理職に向いていることも別という点です。
最終的に、仕事ができる人を昇進させる制度から、昇進したい人が昇進する制度へ変質する可能性があります。
既存の記事解剖室の考察とどうつながるか
このテーマは、これまでの記事解剖室で扱ってきた複数のテーマと強くつながります。
まず「管理職になりたくない人が増えるのはなぜか」という問題です。
管理職になると、責任、調整、人材育成、評価、トラブル処理が増える。
しかし給与増加がそれに見合わないなら、合理的な社員ほど昇進を避けます。
今回の記事は、その一段前の問題です。
そもそも会社は、なぜ管理職候補を「仕事のできる人」から選ぶのか。
という選抜構造を考えています。

次に「自分でやった方が早いを続ける会社は、なぜ人が育たないのか」ともつながります。
優秀な社員ほど、自分で仕事を処理できます。
その人を管理職にすると、部下を待つより自分でやる方が速い。
すると、管理職は実務を抱える、部下は育たないという問題が起きます。

さらに「人手不足の会社ほど、なぜ教育する余裕がなくなるのか」とも直結します。
人手不足の会社では、最も仕事のできる人ほど重要です。
しかし、その人を管理職にすると現場から抜ける。
その結果、現場の人手不足がさらに深刻になる可能性があります。

そして「会社はなぜ辞めてほしくない社員より、新しく採る社員に高い給料を払えるのか」ともつながります。
専門能力の高い社員が、管理職になりたくない。
しかし会社では管理職にならなければ給与が上がらない。
するとその社員は、専門職として高く評価してくれる会社へ転職するという選択を取る可能性があります。

つまり、昇進制度の問題は人材流出の問題でもあります。
記事解剖室の結論
「仕事ができる人を昇進させるのは、本当に正しいのか?」
答えは、条件付きでは正しい。
しかし、「仕事ができる」という理由だけで昇進させるのは危険ではないでしょうか。
なぜなら、現場社員の成果は自分がどれだけ成果を出したかで評価されます。
一方、管理職の成果は、他人がどれだけ成果を出せる状態を作ったかで評価されるべきだからです。
この二つは、似ているようでかなり違います。
優秀な営業マンは、自分で契約を取ります。
優秀な営業管理職は、10人の営業マンが契約を取れる仕組みを作ります。
優秀な技術者は、自分で問題を解決します。
優秀な技術管理職は、自分がいなくても問題を解決できるチームを作ります。
つまり実務者として優秀であるほど、「自分でやる能力」が高い。
管理職として優秀であるほど、「自分がやらなくても回る状態」を作る能力が高い。
ある意味では、逆方向の能力さえ求められます。
それにもかかわらず、
企業が「一番仕事のできる人だから管理職にしよう」と考えると、最も優秀な実務者を現場から失い、同時に、管理職として適性があるか分からない人を管理職に置くことになります。
では、どうすればいいのでしょうか。
おそらく必要なのは、「昇進」と「評価」を分離することです。
仕事のできる人には、高い給与。
専門職としての地位、裁量、専門職等級を与える。
一方、管理職には人を育てる能力、仕事を任せる能力、調整能力、評価能力、組織設計能力を持つ人を選ぶ。
つまり、優秀な社員への報酬として管理職を与えるのではなく管理職という仕事に適した人を管理職にするという発想です。
考えてみれば、これは当たり前の話です。
優秀な野球選手が、必ず優秀な監督になるわけではありません。
優秀な料理人が、必ず優秀なレストラン経営者になるわけでもありません。
優秀な研究者が、必ず優秀な研究所長になるわけでもありません。
仕事が変われば、必要な能力も変わります。
それなのに会社だけは「今の仕事ができるから、次の仕事もできるだろう」と考えがちです。
もしかすると企業が本当に考えるべきなのは、「誰を昇進させるか」ではありません。
「その人が最も価値を出せる場所はどこか」
なのではないでしょうか。
優秀な人材を昇進させることが、人材活用とは限りません。
場合によっては昇進させないことこそ、最も高く評価している状態もあり得るのです。
ただし、その場合には当然、管理職にならなくても給与と評価が上がる制度が必要です。
そうでなければ「昇進させない」は、単なる低待遇になります。
仕事のできる人を守るために必要なのは、昇進の機会だけではありません。
管理職にならなくても報われる道を作ること。
それがない会社では仕事のできる人は、管理職として消耗するか、専門職として評価してくれる会社へ去るか、どちらかを選ぶことになるのかもしれません。


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