会社を辞めた社員が数年後に同じ会社へ戻ってくる、いわゆる「ブーメラン採用」。
一昔前なら「一度辞めた人間を、なぜまた採用するのか」と考える会社も多かったでしょう。
しかし最近では、むしろ優秀だった元社員なら積極的に戻ってきてほしいと考える企業が増えているようです。
Business Insiderが2026年9月8日に掲載した記事「Your old company might want to hire you back」では、米国企業でブーメラン社員の採用が増えている実態を紹介しています。

米国では2025年末時点で、新規採用者の3.4%が以前その会社で働いていた「出戻り社員」だったとされています。
2023年の3.1%から増加しています。HR・給与プラットフォームのDeelでは、2024年から2026年にかけて再雇用者数が2倍以上になったといいます。
企業側から見れば、これはかなり合理的です。
元社員なら、
- 会社の文化を知っている
- 社内システムを知っている
- 人間関係がすでにある
- 過去の実績が分かっている
- 採用失敗のリスクが低い
- 教育期間を短縮できる
からです。
しかも他社へ行った間に、新しい知識や技能まで身につけて戻ってくる可能性があります。
Simpro GroupのCEOは、優秀な社員が外へ出て新しい技能を身につけたなら、後で呼び戻すことも長期的な会社づくりの一部だと語っています。
DeelのCEOも、特に以前の高業績者を再雇用の対象として重視しています。
経営戦略として見れば、実に合理的です。
しかし社員側から見ると、少し奇妙な問題が生まれます。
会社に残ったAさん。
一度辞めて、別会社で働いて、戻ってきたBさん。
もしBさんの方が市場価値を再評価され、良い条件や役職を得るのであれば、会社に残り続けたAさんは、一体何だったのでしょうか?
今回はブーメラン採用そのものを否定するのではなく、
「会社に残ること」と「一度会社を出ること」のどちらが社員にとって合理的なのか
という視点から考えてみます。
記事は何を主張しているか
Business Insiderの記事の中心的な主張は、
一度退職した社員を再雇用する「ブーメラン採用」が増えており、企業側にも元社員側にもメリットがある
というものです。
記事に登場するDeelの事例は象徴的です。
元社員Ahmed Mousa氏がCEOのAlex Bouaziz氏へ連絡すると、約48時間後には採用担当者と復帰について話をすることになりました。
Deelは2025年だけで130万件もの応募を受け、2026年には200万件に達すると見込んでいる会社です。
それだけ応募者が存在するにもかかわらず、以前働いていた高業績者は有力候補になります。
理由は簡単です。
会社側が、「この人がどのくらい働けるのか」をすでに知っているからです。
通常の採用では、
履歴書を見る→面接する→適性検査をする→採用する→実際に働かせてみる
まで、その人が本当に活躍するか分かりません。
しかし元社員なら、
勤務態度、能力、人間関係、会社文化への適応度まで、ある程度分かっています。
つまりブーメラン採用とは、採用リスクを大幅に下げられる採用方法とも言えます。
2026年に発表された自動車業界のブーメラン採用研究でも、再雇用を判断する重要要素として勤務態度、専門知識、退職後の期間などが挙げられ、良好な退職プロセスや元社員ネットワークの維持が再雇用を成功させる要素になるとされています。
さらに会社の外で経験を積んだ社員なら、
以前の会社の知識+他社で得た知識を持って帰ってきます。
会社からすれば「一度外で育って、また戻ってきてくれた」とも考えられるでしょう。
ここまでなら、ブーメラン採用は非常に合理的です。
問題はその先です。
筆者は誰に向けて書いているか
この記事には大きく三種類の読者がいると思います。
第一は「転職を考えている社員」
この記事は、
一度会社を辞めても、その会社との関係が完全に切れるとは限らない
というメッセージを与えています。
以前なら退職は、会社に残るor会社を捨てる、という二択でした。
しかしブーメラン採用が一般化すると、
会社A→会社B→会社A
というキャリアも成立します。
すると社員側にとって転職のリスクが下がります。
第二は「元社員を採用したい企業・人事担当者」
こちらには、
良い社員とは、辞めさせない社員だけではなく「戻ってきてもらえる社員」なのではないか
という発想を提示しています。
退職者を裏切り者扱いするのではなく、元社員を将来の採用候補として扱うわけです。
実際、過去の研究でも、元社員は企業にとって有望な人材プールになり得る一方、企業間で人材が行き来しやすくなるため、従来型の「社員を囲い込む」という人事戦略にも影響を与えることが指摘されています。
第三は「現在その会社に残っている社員」
元記事では大きく扱われていません。
しかし記事解剖室として最も気になるのは、この人たちです。
なぜなら、
辞めた社員を歓迎する制度は、残った社員へどんなメッセージを送るのか?
という問題があるからです。
ここが今回の記事で一番掘りたいところ。
読者に何をさせたいか
表面的には、退職しても前の会社との関係を壊さない方がいいということでしょう。
これはかなり合理的です。
DeelやSimpro GroupのCEOも、「良い辞め方」をした社員については再雇用に前向きである一方、会社と揉めて辞めたり、短期間だけ在籍した社員などには慎重です。
したがって社員側には、会社を辞める=人間関係を全部切る、という必要はなく、
退職もキャリアネットワーク形成の一部
という考え方が提示されています。
企業側には、退職者を失った人材としてではなく、将来戻ってくる可能性のある人材として扱え、というメッセージでしょう。
しかし、ここから一段進めて考えると、別の行動を促しているようにも見えます。
それは「市場価値を知りたいなら、一度会社の外へ出た方がいい」という行動です。
会社の中にいる限り、今年の昇給3%、来年も3%、昇進すれば少し上がるという内部ルールの中で給与が決まります。
しかし転職市場へ出れば、
「あなたなら年収700万円払います」
という外部評価が出る。
そして、その評価を持って以前の会社へ戻る。
ここで初めて、社内評価ではなく市場評価によって待遇が決まる可能性が生まれます。
これはブーメラン採用の記事が直接主張している話ではありません。
しかし制度が一般化すれば、社員がそう学習する可能性は十分にあります。
どんな前提を置いているか
前提1.優秀な社員なら戻したい
これは記事全体の大前提です、誰でも戻れるわけではありません。
DeelのCEOも、再雇用では特に過去の高業績者を重視すると話しています。
つまり、退職者→会社で高評価だった退職者→円満退職した人→会社が再び欲しい能力を持っている人、という選別があります。
ブーメラン採用とは、退職者救済制度ではなく、企業による人材の再選別なのです。
前提2.会社の外で社員は成長する
Simpro GroupのCEOの発言には、
他社へ行って技能を身につけた人を後から呼び戻す
という発想があります。
これは非常に面白い。
なぜなら会社自身が育成費を払わず、他社に育ててもらってから採用するとも言えるからです。
社員側から見れば、会社Aで5年→会社Bで3年→会社Aへ復帰、というキャリアによって、一つの会社で8年間働くより幅広い経験を得られる可能性があります。
労働市場の流動性によって社員と仕事のより良い組み合わせが発見され、生産性向上につながり得るという2026年の研究とも方向性は一致しています。
前提3.「辞めること」は会社への裏切りではない
ここも大きく変化しています。
昔の会社なら、一度辞めた人間を戻すなんて、という感覚があったかもしれません。
しかし人材が会社間を移動することを前提にすると、退職=関係終了、ではなく、退職=一時的な離脱になります。
これは会社と社員の関係そのものが変わっているとも言えます。
何が書かれていないか
ここからが記事解剖室です。
書かれていないこと1.残った社員は何を思うのか
元記事には、ブーメラン社員が戻ってくることで現在の社員が、
「やっぱりこの会社には良いところがあるんだ」
と感じる可能性が紹介されています。
DeelのCEOも、戻ってきた社員の話を聞くことで、残った社員が自分の選択を肯定できる場合があるとしています。
確かにそうでしょう……でも逆もあると思うんですよね、私は(-_-;)
Aさん、10年間会社に残った、毎年昇給、会社が苦しい時も辞めなかった、後輩も育てた、突然辞めた人の仕事も引き継いだ。
そこへ5年前に辞めたBさんが戻ってくる。
Bさんは外で新しい経験を積み、場合によっては自分より高い役職・待遇で戻ってきた。
Aさんはどう思うでしょう。
「……俺も一回辞めた方がよかったのでは?」
となっても不思議ではありません。
書かれていないこと2.会社への忠誠心に値段は付いているのか
これは、これまで記事解剖室で扱ってきた問題と非常によく似ています。
以前「なぜ有能な社員ほど能力を隠す組織が生まれるのか?」という記事で、
能力を発揮すると仕事だけ増え、報酬が変わらないなら、能力を隠すことが社員にとって合理的になる
と考えました、今回も構造は同じです。

会社に残る→毎年少しずつ昇給する
会社を辞める→他社で市場価値を上げる→以前の会社から再び声をかけられる→新しい条件で戻る
後者の方が得ならば、辞めることが合理的になります。
会社がブーメラン社員を優遇すること自体が悪いわけではありません。
問題は、残った社員にも同じような市場価値の再評価をしているかです。
書かれていないこと3.辞めた社員だけが「市場価格」になる問題
ここが今回、最も重要だと思います。
会社の給与制度には、社内価格と市場価格があります。
例えば新卒で年収350万円で入った人が、毎年3%ずつ昇給したとします。
一方、その人と同じ能力を持つ中途採用者を募集したところ、市場では500万円出さなければ来てくれない。
会社は困ります。
既存社員:430万円
新規社員:500万円
となるからです。
しかし採用するためには500万円出す。
さらに以前辞めた社員を戻すなら、現在の市場価値を基準に待遇を決める可能性もあります。
その結果、会社に残り続けた人だけが古い給与テーブルの中に閉じ込められるという現象が起こり得ます。
私はこれを「残留割引」と呼んでもいいと思います。
あるいは逆から見れば「忠誠税」と言うべきかもしれません。
会社を辞めないという選択をしたために、市場価値を再査定されない。
もしそうなれば社員は学習します。
市場価値を上げたいなら、一度会社を辞めなければならない。
会社としてはかなり危険なメッセージです。
書かれていないこと4.戻ってきた社員が必ず成功するとは限らない
ブーメラン採用にも当然欠点があります。
会社を辞めた理由が、給与、上司、仕事内容、評価制度、企業文化だったとします。
数年後戻ってきてもそれらが変わっていなければ、同じ理由でもう一度辞める可能性があります。
また、会社側も、昔活躍したから今も活躍するだろう、と思い込む危険があります。
会社も変わります、本人も変わります。
以前フィットしたからといって、現在もフィットするとは限りません。
したがって、「知っている人だから安全」という安心感そのものが採用バイアスになる可能性もあります。
書かれていないこと5.残った社員が退職者の穴を埋めていた可能性
これも重要でしょう。
Bさんが退職、Bさんの仕事をAさんが引き継ぐ、Aさんは忙しくなるがそれでも会社に残る。
3年後。
Bさんが経験を積んで戻ってくる。
会社:「おかえり! 新しい経験を高く評価します」
Aさん:「……その3年間、Bさんの仕事をやっていたのは私なんですが」
という構図もあり得ます。
これは記事解剖室の、「仕事が早い人ほど損をする会社」とほぼ同じ構造です。

その記事では、能力を発揮した人へ追加の仕事だけを返す制度は、能力を隠すことを合理的にしてしまうと考えました。
今回なら会社に残った社員へ穴埋めをさせ、戻ってきた社員へ市場価値を認める制度になれば「会社に残るほど損をする」という学習が起こります。
記事の有効な部分は何か
それでも私は、ブーメラン採用そのものはかなり合理的だと思います。
むしろ企業は積極的に利用した方がいいでしょう。
理由は三つあります。
①採用失敗リスクが低い
過去の勤務実績があることは、履歴書より遥かに強い情報です。
②育成コストが低い
企業文化や仕事の進め方をある程度理解しています。
完全な新人より立ち上がりが早い可能性があります。
③外部知識を会社へ持ち込める
これが一番面白い。
ずっと同じ会社にいる社員には、その会社の常識があります。
他社で働いた社員には、
「前の会社ではこうしていました」
という比較対象があります。
これは企業にとって非常に価値があります。
ブーメラン社員とは単なる出戻りではなく、自社を知っている外部経験者でもあるわけです。
だからブーメラン採用をやめるべきだ、という結論にはなりません。
むしろ問題は、ブーメラン社員を評価する仕組みと、残った社員を評価する仕組みが分断されていることではないでしょうか。
別の立場から見るとどうなるか
経営者から見る
非常に合理的です。
優秀だった社員が外で成長して戻ってくるなら、採用コストも失敗リスクも低い。
歓迎するでしょう。
人事から見る
採用候補者について過去の評価記録があります。
通常の中途採用より情報が多い。
採用判断はしやすくなります。
ブーメラン社員から見る
会社の良い面と悪い面の両方を知った上で戻れます。
他社を経験したことで、
「やはり元の会社の方が自分には合っていた」
と判断できる。
これは普通の転職者にはない強みです。
残留社員から見る
一番複雑な立場です。
ブーメラン社員を歓迎すること自体には問題ありません。
しかし、
残った人=去年の給与+定期昇給
辞めて戻った人=現在の市場価値で再査定
となれば、一度辞めることがキャリア戦略になります。
ここで以前の記事「社員が辞めない会社は、本当に良い会社なのか?」と接続します。

この記事では、
社員が会社に残っていることと、社員が会社を高く評価していることは同じではない
と考えました。
今回ならさらに一歩進みます。
会社に残っている社員が、「辞める勇気がないから残っている」のではなく、
「残ることを選択したのに、その選択が報われない」
状態になる可能性があります。
これはもっと危険です。
なぜなら会社への不満が待遇への不満だけではなく、公平性への不満になるからです。
記事解剖室の結論
Business Insiderの記事が紹介しているブーメラン採用は、企業にとって非常に合理的な制度です。
優秀だった社員、会社を理解している、人間関係もある、外部経験まで積んでいる。
こんな人が、「また働きたい」と言ってくれるなら、会社が歓迎するのは当然です。
だから問題は、辞めた社員を優遇することではありません。
本当の問題は、残った社員を適切に再評価しているのかです。
ブーメラン社員:外部へ出る→市場価値が測られる→経験を積む→新しい条件で戻る
残留社員:会社に残る→仕事を続ける→退職者の穴も埋める→去年の評価+定期昇給
もしこの構造になっているなら、社員は当然学習します。
「会社への忠誠心には値段が付かない」
さらに進めば、
「市場価値を上げるには一度辞めた方がいい」
となります。
これは、これまで記事解剖室で何度も見てきた構造です。
仕事を早くすると仕事が増える。
だから仕事を遅くする。
能力を見せると責任が増える。
だから能力を隠す。
成果を出しても待遇が変わらない。
だから最低限だけ働く。
そして今回は、会社に残っても市場価値を反映してくれない。
ならば、一度辞める。
制度に対して社員が合理的に行動しているだけです。
記事解剖室で以前、
人事評価制度は単に社員を測る仕組みではなく、「この会社では何をすれば得なのか」を社員へ教える仕組みでもある
と考えました。
ブーメラン採用も同じでしょう。
会社が、「辞めても戻ってきていい」という制度を作ること自体は悪くありません。
むしろ良い制度です。
ただし同時に、「残り続けた社員にも、市場価値を反映した再評価の機会を与える」必要があります。
例えば、定期的な市場給与との比較。
長期在籍者の給与補正。
退職者の仕事を引き継いだ社員への評価。
外部経験に相当する社内異動・研修機会。
市場価値が上がった社員への待遇再査定。
こうした仕組みが必要でしょう。
最終的に企業が目指すべきなのは、
「辞めない方が得な会社」
でも、
「辞めて戻った方が得な会社」
でもないと思います。
理想は、「残っても、外へ出ても、その人が増やした価値に応じて待遇が更新される会社」です。
ブーメラン採用が広がることによって見えてくる本当の問題は、「一度辞めた社員を戻していいのか?」ではありません。
むしろ、なぜ会社の外へ出なければ、自分の本当の市場価値を会社に認めてもらえないのか?という問題ではないでしょうか。
もし社員が、「会社に10年残るより、一度辞めて3年後に戻った方が給料が上がる」と学習してしまったなら、企業が本当に見直すべきなのはブーメラン採用制度ではありません。
ずっと会社を支えてきた社員を、会社がどのように評価しているのか。
そちらでしょう。


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