会社で働いていると、一度はこんな疑問を持つことがあります。
仕事を早く終わらせても給料は同じ、たくさん仕事をこなしても給料は同じ、難しい仕事を引き受けても、それほど評価されない。
それなら「働いた時間ではなく、出した成果で評価すればいいのではないか」という考えが。
非常に合理的に見えます。
実際、以前の記事『成果主義なら「働いているフリ」はなくなるのか?』でも、この問題を考えました。

労働時間ではなく成果を評価すれば「仕事を早く終わらせると追加の仕事を渡される」という会社で起きやすい、「能力を隠した方が得」という状態を変えられる可能性があります。
しかし、成果主義には別の問題があります。
それは、社員が「良い仕事をする方法」ではなく、「成果として評価される数字を作る方法」を学び始めるという問題です。
成果主義を導入した会社は、成果を出せば評価するというルールを作ります。
すると社員は合理的に、では、何をすれば成果としてカウントされるのかと考えます。
ここから、成果主義という制度と社員との間に、一種の「攻略ゲーム」が始まります。
- 成果主義そのものが悪いわけではない
- 成果を測るためには「数字」が必要になる
- 数量を評価すると、品質が落ちることがある
- 成果主義では「測りやすい仕事」が強くなる
- 社員は「難しい仕事」を避け始める
- 同僚を助けると、自分の成果が減る
- そして「成果の横取り」が合理的になる
- 短期成果を測ると、未来への投資が減る
- 成果を出しすぎると「次の目標」が上がる
- 社員は「評価制度」を研究し始める
- AI評価になれば、この問題はさらに強くなる可能性がある
- 「働いているフリ」は「成果を出しているフリ」へ進化する
- これは「社員のモラル」の問題なのか?
- では成果主義はやめるべきなのか?
- それでも完璧な評価制度は作れない
- 成果主義の本当の問題は「人間が合理的に動くこと」
- 会社は社員ではなく「制度を疑う」必要がある
- 記事解剖室の結論――社員は会社が作ったゲームを攻略している
成果主義そのものが悪いわけではない
まず最初に明確にしておきたいのは、成果主義そのものを否定する話ではありません。
仕事の成果が大きい社員と小さい社員。
難しい仕事を引き受けた社員と、簡単な仕事だけを担当した社員。
会社へ大きな利益をもたらした社員と、そうではない社員。
それらを全く区別せず「同じ時間会社にいたから同じ評価」としてしまえば、それもまた問題です。
むしろ記事解剖室ではこれまで、「仕事が早い人ほど損をする」ことについて何度も考えてきました。

成果を出しても給料が増えず、仕事だけ増えるのであれば、社員は次第に能力を隠すようになります。
これは怠慢というより、制度に対する合理的な適応とも考えられます。
だから、成果を評価するという考え方自体には意味があります。
問題なのは、成果とは何なのか、この定義なんです。
成果を測るためには「数字」が必要になる
成果主義を導入すると、会社は社員の成果を比較しなければなりません。
営業なら、
- 売上
- 契約件数
- 粗利益
- 新規顧客数
製造なら、
- 生産量
- 処理件数
- 不良率
- 稼働率
コールセンターなら、
- 対応件数
- 平均通話時間
- 顧客満足度
といった指標が使えます。
こうした数字には大きな利点があります。
少なくとも「上司が気に入っているから高評価」という完全な主観評価よりは、公平に見えます。
しかし、数字を評価基準にした瞬間に別の問題が出てきてしまうのです。
社員もその数字を見るからです。
会社が、この数字が高い社員を評価しますと言えば、社員は当然≪では、その数字を高くしよう≫と考えます。
ここまでは会社の狙い通りです。
しかし数字を高くすることと、会社に価値を生み出すことは必ずしも同じではありません。
数量を評価すると、品質が落ちることがある
これは成果主義の典型的な問題です。
例えば工場で、1日に作った数量を評価するとします。
すると社員は、より多く作ろうとします。一見すると成功です。
ところが、
- 確認作業を短縮する
- 丁寧な作業を減らす
- 難しい製品を避ける
- 手間のかからない製品を優先する
といった行動も合理的になります。
実際、中国の工場労働者を対象にした自然フィールド実験では、数量に対する一次元的なインセンティブを与えると、労働者が数量と品質をトレードオフする行動が確認されています。
会社が欲しかったものは、数量が多く、品質も高い製品です。
ところが評価制度が、数量だけを強調すると、
社員は、数量だけ多い製品を作る方向へ誘導される可能性があります。
社員が会社に反抗しているわけではありません。
むしろ、会社が提示した評価ルールに忠実に従った結果なのです。
成果主義では「測りやすい仕事」が強くなる
さらに難しい問題があります。
仕事の価値には数字にできるものと、数字にしにくいものがあります。
例えば売上は測れます。
しかし、新人を育てた、同僚の相談に乗った、事故になる前に異常を発見した、トラブルが起きないよう事前に調整した、他部署との関係を改善した。
熟練技能を若手へ教えた。
こうした仕事は非常に重要ですが、数字にするのが難しい。
以前、『誰も管理職になりたがらない会社は、最終的にどうなるのか?』でも考えました。

優れた管理職の仕事には、「問題を解決した」だけではなく「そもそも問題を発生させなかった」という成果があります。
しかし、事故が起きなかった、新人が辞めなかった、社員同士が揉めなかった、品質問題が起きなかった。
という成果は、「何も起こっていない」ため目立ちません。
一方、
売上1000万円、契約20件、生産100個。
こういう数字は非常に分かりやすい。
すると成果主義は次第に、会社にとって重要な仕事ではなく、測定しやすい仕事を高く評価する制度になっていく危険があります。
社員は「難しい仕事」を避け始める
成果主義を強くすると、もう一つ合理的な行動が生まれます。
成功率の高い仕事を選ぶことです。
例えば、簡単な案件を10件処理する社員A。
難しい案件を5件処理する社員B。
件数だけならAの勝ちです。
では社員はどうするでしょう。
評価制度を理解している社員ほど、簡単な案件を取ろうと考える可能性があります。
営業でも同じです。
契約できそうな顧客だけを狙う、面倒な顧客を避ける、新市場を開拓しない、難しいプロジェクトに参加しない。
失敗すると評価が落ちる制度では、挑戦しないことが合理的になる場合があります。
ところが会社から見れば、難しい仕事へ挑戦する人材こそ必要です。
ここでも、個人にとって合理的な行動と、会社にとって望ましい行動がズレます。
同僚を助けると、自分の成果が減る
個人成果主義ではさらに深刻な問題があります。
例えば、社員Aが仕事に困っている、社員Bは解決方法を知っている。
Bが30分使ってAを助ければ、会社全体ではプラスでしょう。
しかしB個人から見ると、その30分間、自分の仕事は進みません。
しかもAの成果が上がります。
極端な成果主義なら、自分のライバルを助けることになるとも考えられます。
すると合理的な社員は、知識を共有しなくなります、教えなくなる、ノウハウを囲い込む、新人教育を避ける、他部署への協力を減らす。
これは単なる理論上の問題でもありません。
2025年に『Journal of Business Research』で公表された研究では、個人業績連動型の報酬と内発的動機の関係が逆U字型となり、それを通じて知識共有にも非線形の影響が生じることが示されています。
つまり、ある程度までなら個人成果への報酬は人を動かすが、強くしすぎれば逆効果になり得るということです。
さらに、個人型と集団型の業績連動報酬を比較した研究レビューでは、対象となった研究で集団型が個人型を下回らず、協力や助け合い、アイデア創出が一因として示唆されています。
会社は個人を競わせることで生産性を上げようとします。
ところが仕事がチームで行われている場合、競争が強すぎることで、会社全体の生産性を下げることもあり得るのです。
そして「成果の横取り」が合理的になる
さらに成果主義では、誰の成果なのかという問題が生まれます。
仕事というものは、多くの場合、一人では完成しません。
営業社員が契約を取ったとしても、商品を作った人、顧客対応した人、物流を担当した人、システムを維持した人、新人を育成した人、過去の顧客関係を築いた人。
多くの人間の仕事が積み重なっています。
しかし成果主義では、成果を誰かへ帰属させなければなりません。
すると、自分がやりましたというアピール能力も成果の一部になっていきます。
逆に、目立たない支援仕事をする人ほど評価されない。
こうなると、仕事ができる人より、成果の所有権を取るのが上手い人が評価されるという逆転すら起こります。
成果主義が悪いのではありません。
成果の帰属を正確に測ることが非常に難しいのです。
短期成果を測ると、未来への投資が減る
成果主義には時間軸の問題もあります。
会社が、今年の売上、今期の利益、今月の生産量を評価するなら、社員は当然そこを最大化します。
すると、新人教育、設備保全、業務改善、研究開発、マニュアル作成、技能継承といった今すぐ数字にはならないが、将来重要になる仕事が後回しになる可能性があります。
新人を1時間教育するより、その1時間で自分が作業した方が今月の数字は伸びる。
設備を止めて整備するより、動かし続けた方が今日の生産量は増える。
業務改善を考えるより、今ある仕事を処理した方が処理件数は増える。
個人の評価としては合理的です。
しかしそれを会社全体が続けると数年後には、
新人が育たない、設備が傷む、仕事の仕組みが古くなる、ベテランしか仕事が分からない。
こういう状態に陥ります。
成果主義が現在の成果を増やす代わりに、未来の成果を食べる制度になることもあるわけです。
成果を出しすぎると「次の目標」が上がる
ここからは、さらに社員側の視点に立ってみます。
仮に今年、目標100に対して150の成果を出したとします。
会社は高く評価しました。
しかし翌年、昨年150できたのだから、今年は160を目標にしよう。
と言われたらどうでしょう。
社員は学習します、本気を出すと翌年のノルマが上がる、と。
すると来年から、本当は150できても120程度に抑える。
改善案を全部出さない、余力を見せないという行動が合理的になります。
以前の記事『仕事が早い人ほど損をする会社の12の特徴』でも触れましたが、成果を上げるほど仕事量や目標だけが増える制度では、高い成果を出さないこと自体が自己防衛になります。

これは成果主義の非常に大きな矛盾です。
本来、能力を発揮してほしいから成果主義を導入したはずなのに、制度設計を間違えると能力を隠した方が得という状態になってしまいます。
社員は「評価制度」を研究し始める
そして成果主義が長く続くと、社員は会社の評価制度を学習します。
何をすると評価されるのか、何をしても評価されないのか。
どの数字を上げればいいのか、どの仕事なら失敗しにくいのか。
誰に成果をアピールすればいいのか。
これはある意味当然です。
会社がゲームのルールを提示したのなら、社員はそのルールの中で最大の報酬を得ようとします。
記事解剖室では以前、『人事評価はなぜ社員の行動を歪めるのか?』という記事で、
人事評価制度は社員の働き方を測るだけではなく、社員の働き方そのものを変える
という問題を考えました。

まさにここにつながります。
会社は、良い社員を見つけるために評価制度を作ります。
ところが社員は、良い評価を得るために行動を変えます。
すると評価制度は、社員を測る物差しであると同時に社員を特定方向へ動かす装置になります。
AI評価になれば、この問題はさらに強くなる可能性がある
この問題はAI時代になるとさらに重要になります。
AIなら大量のデータを処理できます。
例えば、メール返信速度、タスク完了数、顧客対応件数、営業接触回数、会議での発言回数、AI利用回数、PC利用時間。
さまざまなデータから社員を評価できます。
人間の上司より公平に見えます。
しかしAIも、何を成果とするかを自分で決めるわけではありません。
会社が、この数字を重視しろと設定します。
すると社員は、その数字を攻略します。
返信速度なら、とりあえず即返信する。
タスク数なら、小さく分割して大量に完了させる。
営業接触回数なら、成果につながらなくても接触回数を増やす。
AI利用量なら、必要以上にAIを使う。
記事解剖室では『AI上司は人間上司より公平なのか?』でも、人間上司を攻略する働き方がアルゴリズムを攻略する働き方へ変わる可能性を考察しました。

AIによって評価が精密になればなるほど、社員も評価方法を精密に攻略する。
そんな競争が始まる可能性があります。
「働いているフリ」は「成果を出しているフリ」へ進化する
ここまで考えてくると、一つの皮肉な結論が見えてきます。
成果主義はもともと、働いているように見せるだけの社員を減らすための有力な方法です。
何時間会社にいたかではなく、何を生み出したかを見る。
これは合理的です。
ところが成果の測定方法が単純なら社員は次に、成果を出しているように見せる方法を考えます。
つまり「働いているフリ」が、「成果を出しているフリ」に進化する。
以前の記事でもこの問題を扱いました。
これは成果主義最大のデメリットかもしれません。
制度を変えただけでは、人間が制度に適応する問題そのものはなくならないからです。
これは「社員のモラル」の問題なのか?
ここで、「そんな数字の攻略ばかりする社員が悪い」と思う人もいるでしょう。
確かに不正やデータ改ざんまで行けば、社員側の責任です。
しかし通常の範囲では、もう少し複雑です。
会社が、契約件数で評価します、と言った。
社員が契約件数を増やした。
会社が、生産量で評価します、と言った。
社員が生産量を増やした。
会社が、処理件数で評価します、と言った。
社員が簡単な案件を大量に処理した。
これはある意味、社員が会社の指示に忠実に従った結果です。
近年も、KPIが目的そのものになることで、社員が組織の本来の目的ではなく指標へ最適化する問題が指摘されています。
問題は、社員が数字を攻略したことだけではありません。
会社が「その数字こそ成果だ」と定義してしまったことにもあります。
では成果主義はやめるべきなのか?
では結局、成果主義はやめた方がいいのでしょうか。
おそらく、それも違います。
時間だけで評価すれば、長時間働いているように見せる社員が有利になります。
上司の主観だけなら、上司へのアピールが上手い社員が有利になります。
勤続年数だけなら、成果を出しても報われにくくなります。
完全な評価制度はありません。
だから必要なのは、成果主義を捨てることではなく、成果を一つの数字にしないことではないでしょうか。
例えば製造現場なら、
①数量
どれだけ作ったか。
②品質
不良や手直しをどれだけ抑えたか。
③安全
事故や危険行動を防いだか。
④改善
仕事をより良くする仕組みを作ったか。
⑤協力
周囲の社員を助けたか。
⑥育成
新人や後輩を育てたか。
⑦長期貢献
将来の生産性につながる仕事をしたか。
これらを見る。
一つの指標へ偏れば、その指標は攻略されます。
実験研究でも、インセンティブで何を目立たせるかによって数量と品質の配分が変化することが確認されています。
だから、会社が本当に欲しい価値を複数方向から見る必要があります。
それでも完璧な評価制度は作れない
ただし、ここでも新たな問題があります。
評価項目を増やせば増やすほど、制度は複雑になります。
数量、品質、安全、改善、協力、育成、顧客満足、将来性。
これをすべて評価し始めれば今度は、何をすれば評価されるのか分からないという状態になります。
さらに人間上司による主観評価を加えれば、公平性への不満も戻ってきます。
結局、評価制度には「精密にするほど複雑になり、単純にするほど攻略されやすい」というジレンマがあります。
これは、おそらく完全には解決できません。
だから評価制度に必要なのは、完全な正確さではなく明らかに間違った行動へ社員を誘導しないことなのかもしれません。
成果主義の本当の問題は「人間が合理的に動くこと」
ここまで成果主義のデメリットを整理すると、
- 数量を追って品質を下げる
- 簡単な仕事を選ぶ
- 難しい仕事を避ける
- 失敗する挑戦を避ける
- 同僚を助けなくなる
- ノウハウを囲い込む
- 新人教育を避ける
- 成果を横取りする
- 上司へのアピールを増やす
- 短期成果を優先する
- 長期投資を後回しにする
- 数字にならない仕事を避ける
- 目標を低く設定する
- 成果を出しすぎない
- 評価指標そのものを攻略する
といった問題が見えてきます。
しかし、よく見ると共通点があります。
どれも、社員が自分の評価を最大化しようとした結果です。
つまり成果主義の最大の問題は、人間が非合理だから起きるのではありません。
むしろ逆です、社員が合理的だから起きる。
会社が、Aをすると評価が上がります、という制度を作れば社員はAをします。
会社が本当に欲しかったものが、Aの向こう側にあるBだったとしても、社員に直接与えられている報酬がAなら、Aへ向かう人が増えます。
会社は社員ではなく「制度を疑う」必要がある
ここで会社側に必要なのは、最近の社員は数字しか見ない、と嘆くことではありません。
むしろ、なぜ数字しか見ない方が得になっているのかを考える必要があります。
社員の行動は、評価制度に対する回答でもあります。
簡単な仕事ばかり選ばれるなら、難しい仕事を引き受ける価値が評価されているか。
新人を誰も教えないなら、教育が仕事として評価されているか。
改善案が出ないなら、改善に使った時間が報われているか。
能力を隠す社員がいるなら能力を発揮した時に何が返ってくるのか、そこを見る必要があります。
『人事評価はなぜ社員の行動を歪めるのか?』でも考えましたが、
人事評価制度とは社員を分類する仕組みである以上に、会社が社員へ「こう働いてください」と伝えるメッセージなのです。
記事解剖室の結論――社員は会社が作ったゲームを攻略している
成果主義には大きなメリットがあります。
成果を出した社員をきちんと評価できれば、「仕事を早く終わらせても損をする」「能力を隠した方が得」という会社を変えられる可能性があります。
しかし同時に、成果主義は別のゲームを作ります。
何を成果とするのか、誰の成果とするのか、どの期間で測るのか、どの数字を重視するのか。
それを会社が決めた瞬間、社員はそのルールの中で最適な行動を探し始めます。
数量を評価すれば数量を増やす。
契約件数を評価すれば契約件数を増やす。
AI利用量を評価すればAIを大量に使う。
個人成果を評価すれば他人を助けなくなる。
短期成果を評価すれば長期投資を減らす。
そして評価方法を理解した社員ほど、
会社の目的ではなく、評価制度そのものを攻略できるようになります。
だから成果主義の本当の問題は、成果で評価するかどうかではありません。
もっと根本的な問いがあります。
会社が測っている「成果」は、本当に会社が欲しい成果なのか。
ここを間違えると会社は社員に対して、「会社を良くしてください」と言いながら、評価制度では、「この数字を良くしてください」と別の命令を出していることになります。
そして社員が後者に従った結果、品質が落ちる、協力が減る、挑戦しなくなる、数字の見せ方だけ上手くなる。
それを見た会社は、「成果主義が機能しない」と考える。
しかし実際には、成果主義は極めて正確に機能しているのかもしれません。
会社が評価したものを、社員が増やした。
ただ、それが会社が本当に欲しかったものではなかった。
成果主義の難しさは、おそらくそこにあります。


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