新入社員の給料が既存社員より高いのはなぜ?会社が「辞めてほしくない社員」の給料を上げない理由

記事解剖

会社には、ときどき奇妙なことが起こります。

長年働いている社員が「給料をもう少し上げてほしい」と言っても、「制度上難しい」「今年の昇給幅では無理」「他の社員とのバランスがある」と言われる。

ところが、その社員が辞めて欠員が発生すると、以前その社員に払っていた給与より高い条件で求人を出す。

さらに奇妙なのは、新しく入った社員に仕事を教えるのが、辞めずに残った既存社員だったりすることです。

既存社員からすれば、なぜ私の給料を上げるお金はなかったのに、新しく来る人には払えるのか? という疑問が当然出てきます。

しかし会社側から見ると、これは必ずしも矛盾ではありません。

むしろ「既存社員の給与」と「新規採用者の給与」を、会社がまったく別の価格決定メカニズムで決めていると考えると説明できます。

そして問題は、この仕組みが企業単体では合理的であっても、社員全員がそれを理解した瞬間、別の行動を取り始めることです。

今回はそこまで考えてみます。


一般にはどう理解されているか

この問題は一般に「会社は釣った魚に餌をやらない」という説明をされることが多いでしょう。

新しく人を採用するときには高い給与を提示する。

しかし一度入社すると昇給は小さい。

結果として長く勤めた人より、後から入った人の給料の方が高いという逆転が起こります。

こうした現象は海外では「pay compression(賃金圧縮)」と呼ばれ、場合によっては新規採用者の給与が既存社員を上回る「wage inversion」の状態になります。

実際、同じ職務に就く新規採用者と既存社員を比較した研究では、新規採用者の方が平均的に高い給与を受け取るケースが確認されています。

日本でも「転職すると必ず給料が上がる」わけではありませんが、厚生労働省の2025年上半期の雇用動向調査では、転職入職者の39.4%が前職より賃金増、31.5%が減少でした。

1割以上増えた人も26.7%います。

つまり、同じ会社に残って少しずつ昇給するより、市場へ出て値段を付け直してもらった方が給与が上がるという現象は、単なる印象論ではありません。

では、なぜこんなことになるのでしょうか。


当事者A――会社から見るとなぜ合理的なのか

会社側に立つと、意外なほど合理的です。

最大の理由は既存社員と採用候補者では「値段を決める市場」が違うからです。

例えば社員Aさんが年収450万円で働いているとします。

Aさんは優秀で、会社としては辞めてほしくない。

そこでAさんが「500万円にしてください」と言ったとします。

会社は考えます。

Aさんだけ50万円上げたら、同じ等級のBさん、Cさん、Dさんも上げなければならないのではないか。

給与テーブルを変える必要がある、来年以降もその金額が固定費になる、賞与・残業単価・退職金などにも影響するかもしれない。

するとAさんに50万円払う話が、組織全体では数百万円、数千万円の話に膨らむ可能性があります。

だから会社は慎重になります。

ところがAさんが辞めます。

欠員が発生し、求人を出したところ、年収450万円では誰も応募してこない。

500万円なら応募が来る。

すると会社は、500万円払わないと人が採れないなら、500万円払うという判断をします。

ここには大きな違いがあります。

既存社員への昇給は、社内の給与体系を変更する問題。

一方、新規採用者への高い給与は、外部市場から一人を購入する価格なのです。

つまり会社は、Aさんの価値は450万円しかないと言っているわけではありません。

むしろ、Aさんを450万円で雇い続けられると判断している。

ここはかなり重要です。

給与は必ずしも、その人が会社にもたらしている価値だけで決まりません。

その人をその給与で確保できるかによっても決まります。

採用候補者には他社という選択肢があります。

既存社員には「このまま残る」という慣性があります。

だから会社は、外部市場には市場価格を払い、内部市場には従来価格を払い続けることができる……

と、AIは出力してきていますが、正直私は納得出来ませんねヽ(`Д´#)ノ


当事者B――既存社員から見ると何が違うのか

しかし既存社員から見ると、話はまったく違います。

例えば、既存社員A:勤続10年、年収450万円

新入社員B:同じ職種、年収500万円

だったとします。

さらにAさんがBさんへ仕事を教える。

するとAさんから見れば、私より仕事を知らない人の方が給与が高いという状態。

会社は、「Bさんは市場価格だから」と説明するかもしれません。

しかしAさんがそこで学ぶことは、自分の市場価格も500万円なのではないか、ということです。

ここで非常に重要な情報がAさんへ渡ります。

新入社員Bの給料は、単なるBさんの給与ではありません。

自分の外部市場価値を推測する価格情報でもあります。

これまでAさんは「自分は450万円くらいの人材なのだろう」と思っていたかもしれません。

ところが、経験の浅いBさんに500万円払っている。

ならば、自分も外へ出れば500万円以上になるのではないか、と考えるようになります。

会社が人材確保のために高い給与を提示した結果、既存社員に転職を検討する材料を与えてしまうわけです。

実際、新規採用者の給与が既存社員を上回った後に、既存社員の離職が増えることを示す企業データもあります。

Visierの分析では、高給の新規採用者が入った後に賃金調整が遅れた社員ほど早く離職し、高業績者が退職者に占める割合も高まったとされています。

したがって、新人を高給で採れば採用問題が解決するとは限りません。

別の退職問題を生む可能性があります。


全員が同じ行動をしたらどうなるか

ここからが重要なところです。

社員全員がこの構造を理解したらどうなるでしょう。

社員が、社内で昇給を待つより、数年ごとに転職した方が給与を市場価格へリセットできると学習したとします。

すると、

入社→経験を積む→市場価値が上がる→しかし社内昇給は小さい→転職→市場価格で再評価→給与上昇

こういうキャリア戦略が合理的になります。

企業側も育てても辞めるなら、経験者を採った方がいいと考えるようになる。

すると、

企業:経験者を外から買う。

社員:市場価値が上がったら外へ売る。

という関係になります。

これは以前、記事解剖室で考察した「人材育成のフリーライダー問題」と非常によく似ています。

個々の企業にとっては合理的です。

しかし全企業が、育てずに経験者を採ろうとすれば経験者が不足します。

同じように全社員が、給料を上げるには転職すればいいと考え始めれば、企業は慢性的に採用し続けなければならなくなります。

その結果、既存社員の給与を上げないことで節約した人件費を、採用広告・紹介料・採用プレミアム・教育費として支払う、という妙な状態が生まれる可能性があります。


一次効果の次に何が起きるか

最初に起きることは単純です。

人材不足→採用給与を上げる→応募者が増える

ここまでは合理的です、しかし二次効果があります。

新規採用者給与上昇→既存社員が給与差を知る→不公平感が生じる→市場価値を調べる→転職活動→既存社員退職→さらに採用が必要になる

つまり、採用問題を給与で解決すると、定着問題へ変換される可能性があります。

さらに三次効果もあります。

既存社員が辞める→新人が増える→残った経験者、教育、質問対応、ミスのフォロー、引き継ぎ、トラブル対応が集中

しかも、その教育対象の新人の方が高給だった場合、

高い給与をもらっている人を、低い給与の自分が教育する

という状態が生まれる訳です(-_-;)

ここまで来ると給与差は単なる金銭問題ではなく、

仕事を頑張る意味

に影響してきます。


その変化に人間はどう適応するか

人間は制度に適応します。

もし、忠誠を尽くして長く勤めた人より、外から来た人の方が給料が上がりやすいという制度なら、社員は忠誠を示さなくなります。

これは必ずしも怠慢ではありません、制度への合理的な適応です。

社員は次第に、社内評価より市場評価を見る、社内資格より転職市場で使える資格を取る、会社固有の仕事より汎用スキルを学ぶ、引き継ぎ不能な専門知識を抱える、一定年数ごとに転職サイトを見る。

上記の行動を取るようになるかもしれません。

つまり企業が、市場価格を新規採用者だけに適用すると社員側も、自分という労働力を市場商品として扱うようになります。

これは非常に面白い対称関係です。

会社が社員を市場価格で買うなら、社員も会社を市場価格で選ぶ。

会社が長期雇用関係を弱めれば、社員も長期忠誠を弱める。

どちらか一方だけが市場原理を使うことは難しいのです。


反論・例外・この仮説が成立しない条件

もちろん、新規採用者の方が高い=会社がおかしい、とは限りません。

例えば高度な専門職なら、

既存社員:社内業務経験10年

新規採用者:AI・半導体・サイバーセキュリティ等の希少技術

このようなケースも存在するでしょう。

この場合、新規採用者の給与が高いことには合理性があります。

市場価値が異なるからです。

また、社内固有知識が非常に重要な仕事では事情が逆になります。

研究でも、企業特殊的な人的資本の重要性によって、新規採用プレミアムの大きさが変わることが示されています。

さらに、

福利厚生
退職金
年金
役職
雇用安定性
勤務地
裁量

まで含めれば、単純な年収比較では判断できない場合もあります。

そして新規採用者の給与が高くても、既存社員の給与も速やかに市場価格へ修正される企業なら問題は小さいでしょう。

つまり問題なのは、新人の給与が高いことそのものではありません。

外部市場価格だけ上昇し、内部市場価格が何年も更新されないことです。


5~10年続いた場合どうなるか

この状態が一時的なら大きな問題ではありません。

しかし5年、10年続いたらどうでしょう。

会社には二つの労働市場ができる可能性があります。

社内労働市場

長く働いている人。

毎年2~3%程度昇給。

外部労働市場

転職者。

その時点の人材不足や市場価格で給与決定。

市場賃金が急上昇すると、

外部市場だけ先に値上がりします。

すると、同じ仕事なのに入社時期で給料が違う状態が広がります。

これを放置すると企業には、

中堅社員流出→新人とベテランだけ残る→新人教育負担増加→ベテラン疲弊→さらに退職→経験者採用→高給採用→既存社員の不満増加

このような循環が起こり得ます。

さらに10年単位では、「会社に長くいること」そのものが経済的に不利と社員が認識する可能性があります。

そうなると会社は、

勤続
忠誠
社内知識
後輩育成

長期雇用だからこそ成立していた行動を社員に期待しにくくなります。

これは単なる給与問題ではありません。

企業と社員の長期契約そのものを弱める問題になります。


既存の記事解剖室の考察とどうつながるか

このテーマは、これまでの記事解剖室で扱ってきた複数のテーマを一本につなげることができます。

以前の記事では、「人手不足なのに、なぜAIで人員削減するのか?」を考察しました。

人手不足なのに、なぜAIで人員削減するのか?
人手不足が続く一方で、AIを使った人員削減も進んでいます。一見矛盾する二つの現象がなぜ同時に起こるのか。職種ごとのミスマッチと企業側の合理性から整理します。

そこでは、人手不足だからといってすべての人材が不足しているわけではない。

企業は必要な能力を持つ人だけを高く買う可能性がある。

と考えました。

今回の問題も同じです。

会社は、社員全員の給与を上げるのではなく、採れない人材だけ価格を上げるという対応を取ります。

また「AI時代、会社は誰が人材を育てるのか?」では、

他社が育てた経験者を採る方が、企業単体では合理的

という「人材育成のフリーライダー問題」を考察しました。

AI時代、会社は誰が人材を育てるのか?
AI時代、会社は誰が人材を育てるのか考察しています。

既存社員を市場価格まで昇給するより、必要になった時だけ市場価格で一人買う方が、短期的には合理的です。

しかし全企業がこの戦略を取ると、既存社員は自分も市場へ出ないと市場価格で評価されないと学習します。

さらに「AIを用いることで新人を採らない会社は、10年後に誰を管理職にするのか?」では、

今日の合理性が、10年後の不合理を作る

という問題を扱いました。

AIを用いることで新人を採らない会社は、10年後に誰を管理職にするのか?
AIを用いることで新人を採らない会社は、10年後に誰を管理職にするのか考察しています。

今回もまったく同じ構造です。

今日、既存社員の昇給を抑え、人件費が節約する。

これは合理的です。

しかし5年後、中堅社員が流出し、採用費が増える、教育コストが増える、新人に高い給与を払うことで、さらに既存社員が辞める。

こうなれば、

昇給を抑えて節約した金額より、社員を入れ替える費用の方が高かった

ということが起こり得ます。

そして「自分でやった方が早い」を続ける会社はなぜ人が育たないのか、という考察とも共通します。

「自分でやった方が早い」を続ける会社は、なぜ永遠に人が育たないのか?
「自分でやった方が早い」を続ける会社は、なぜ永遠に人が育たないのか考察しています。

いずれも、

一人、一部署、一年度だけを見れば合理的。

しかし全員が同じ合理的行動を取ると、組織全体では不合理になる、という構造だからです。


記事解剖室の結論

「会社はなぜ辞めてほしくない社員より、新しく採る社員に高い給料を払えるのか?」

この問いへの答えは、会社が既存社員を低く評価しているから、とは限りません。

もっと構造的に見ると、既存社員の給与は「社内制度」で決まり、新規採用者の給与は「外部市場」で決まるから、というのが理由の一つでしょう。

外部市場では、500万円払わなければ採れない、だから500万円払う。

内部市場では、450万円でも辞めずに働いている、だから450万円のままになる。

これは企業単体では合理的ですが、この合理性には大きな弱点があります。

社員がこの仕組みを理解すると、「会社に給与を上げてもらう」のではなく、「会社を替えて自分の価格を付け直してもらう」ようになるからです。

すると、

会社は既存社員の昇給を抑える→社員は転職する→会社は欠員を埋めるため高給で採用する→新入社員の給与を見た既存社員が市場価値に気づく→さらに転職する→会社はさらに高給で採用する

こういう奇妙な循環が成立します。

ここで最も重要なのは、高い給与で新人を採うことが問題なのではない、という点でしょう。

本当の問題は、外部の労働市場価格だけを毎年更新し、社内の労働市場価格を更新しないことです。

市場価格が変わっているのに、既存社員だけ過去の価格で雇い続ければ、いずれ社員自身が価格差に気づきます。

そして会社が社員を市場原理で扱えば、

社員も会社を市場原理で扱うようになります。

だから、この問題を突き詰めると「既存社員にいくら払うべきか」という給与制度の問題ではなく、

「会社は社員との関係を長期的な共同体として設計するのか、それとも毎年価格が変わる労働市場の取引として設計するのか」

という、もっと大きな問題に行き着くのではないでしょうか。

そして企業が後者を選ぶのであれば社員が、「もっと高く買ってくれる会社があるなら移ります」と考えることもまた、同じ市場原理の中では合理的です。

会社だけが市場原理を使い、社員には忠誠を求める。

その状態こそが、長期的には最も維持しにくいのかもしれません。

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