「社員が辞めたので会社が倒産した」
こう聞くと、かなり不思議な話に聞こえます。
社員が100人いる会社なら、一人辞めても99人残ります。
社員10人の会社でも、一人辞めれば9人です。
普通に考えれば、一人辞めただけで会社そのものが潰れるというのは、少し極端に思えます。
ところが、実際には「従業員の退職」が直接・間接の原因となる倒産が増えています。
帝国データバンクによれば、2025年の「従業員退職型」倒産は124件で過去最多となりました。
さらに2026年1~7月には83件発生し、前年同期を12.2%上回っています。
2026年度上半期の人手不足倒産は225件となり、上半期として4年連続で過去最多を更新しました。
では、本当に社員一人の退職が会社を倒産させているのでしょうか。
おそらく、少し違います。
一人辞めたことは「原因」というより、それまで何とか隠れていた会社の脆弱性を表面化させる最後の一押しだったのではないでしょうか。
今回はなぜ企業は、一人辞めただけで事業継続が危うくなるほど、人に依存した組織を作ってしまうのか。
この問題を考えてみます。
一般にはどう理解されているか
一般的には、「人手不足倒産」と説明されます。
人が採れない、社員が辞める、仕事はある。
しかし仕事をこなす人がいない。
その結果、受注を断る、売上が減る、納期を守れない、取引先を失う。
そして資金繰りが悪化して倒産する。
特に建設業、物流、介護、飲食、ITなどでは、特定の資格や技能を持った人がいなければ仕事そのものが成立しないケースがあります。
実際、2026年上半期の人手不足倒産では、従業員10人未満の小規模企業が約77.5%を占めています。
小さな会社ほど、10人→9人、5人→4人、3人→2人、という感じで一人の減少が大きい。
したがって「中小企業だから、一人辞める影響が大きかった」という説明は間違っていません。
しかし、それだけでは少し疑問が残ります。
なぜ、その一人しかできない仕事が存在したのでしょう。
なぜ代わりを育てていなかったのでしょう。
なぜ一人抜けただけで、仕事を減らす余地すらなかったのでしょう。
この辺りの問題は経営構造の話になってくるのかもしれませんが、素人感覚からすると、『どうして一人しか出来ない状態のままで何年放置しているの』と考えたくなりますort
当事者A――会社から見るとなぜ合理的なのか
では、経営者側から考えてみます。
社員5人の小さな会社があるとします。
本当なら、4人で通常業務を回す。
1人は繁忙時の応援、教育、休暇、病欠への対応に使う。
このくらいの余裕があれば安全でしょう。
しかし社員一人を余分に雇えば、当然人件費が掛かります。
年間500万円掛かるとしましょう。
売上が増えるわけでもない社員を、「誰か辞めるかもしれないから」という理由だけで年間500万円掛けて雇う。
経営者から見れば、かなり難しい判断です。
だったら、5人分の仕事を4人で回す。
忙しいときだけ残業する、仕事が増えたら外注する、社員が辞めたら、そのとき採用する。
こちらの方が短期的には効率的です。
さらに業務についても同じことが起きます。
Aさんは経理、Bさんは営業、Cさんは設備保全、Dさんは顧客対応。
それぞれ専門化すれば仕事は速くなります。
Aさんが経理を毎日やっているなら、他の社員に経理を教えるよりAさんに全部任せた方が効率的です。
つまり、人員をギリギリまで削る、専門化する、仕事を一人に集約する
これらは平時には非常に合理的なのです。
問題は、効率性と耐障害性が反対方向を向いていることです。
無駄をなくせばなくすほど、平常時は利益率が上がる。
しかし同時に、誰かが辞めた、病気になった、親の介護で休職した、事故に遭った。
この瞬間、一気に回らなくなります。
当事者B――社員から見ると何が違うのか
一方、社員から見れば状況はかなり違います。
会社は「君しかできない仕事だから」「君が辞めたら困る」「代わりがいない」と言います。
しかし社員からすると、それは必ずしも褒め言葉ではありません。
むしろ、「代わりを育ててこなかった会社側の問題では?」となります。
さらに厄介なのが、重要人物ほど仕事が集中することです。
仕事ができる→仕事を任される→さらに詳しくなる→他の人では対応できなくなる→さらに仕事が集まる→休めなくなる
こうなります。
すると会社にとって重要な社員ほど、責任が重い、休みにくい。仕事量が多い、問い合わせが集中する、新人教育まで任される。
こういう状況になります。
そして皮肉なことに、会社に必要な人ほど会社を辞めたくなる可能性があります。
「辞められたら困る人」に仕事を集中させることで、「最も辞めるリスクを高めている」わけです。
全員が同じ行動をしたらどうなるか
ここで記事解剖室恒例の、「全員が同じ行動をしたらどうなるか」を考えます。
企業A。「余剰人員は持たない」
企業B。「うちも余剰人員は持たない」
企業C。「教育するより経験者を採った方が早い」
企業D。「バックアップ要員を雇う余裕はない」
企業E。「仕事のできる人に集約した方が効率的」
一社だけなら合理的です。
しかし全企業がこれをやると、社会全体から「余裕」が消えていきます。
すると経験者が辞めた会社は、経験者を外部から採ろうとします。
しかし他社も同じです。
全企業が、即戦力、経験者、資格保有者、教育不要、すぐ働ける人を欲しがるようになります。
すると当然、そんな人材は足りなくなります。
ここで記事解剖室で以前考えた、「人材育成のフリーライダー問題」につながります。
他社が人を育てる、自社は育成費を払わない、必要になったら完成した経験者だけ採る。
一社なら合理的です、しかし全企業がやれば経験者を作る会社がなくなります。
一次効果の次に何が起きるか
社員一人が辞めました。
一次効果は単純です。
第1段階
社員一人退職。
↓
第2段階
残った社員に仕事を分配。
↓
第3段階
一人当たり仕事量増加。
ここまでは分かりやすい。
しかし重要なのはこの先です。
第4段階
忙しくなる。
↓
教育時間が減る。
↓
新人が育たない。
↓
ベテランしかできない仕事が増える。
これは、以前の記事解剖室で扱った「人手不足の会社ほど新人教育ができない」という問題そのものです。
そして、
第5段階
残ったベテランへ仕事集中。
↓
残業増加。
↓
休暇取得困難。
↓
責任増加。
↓
不満増加。
↓
第6段階
二人目が辞める。
ここから会社は急速に崩れ始めます。
つまり、
1人退職
↓
仕事集中
↓
教育停止
↓
残存社員疲弊
↓
追加退職
↓
さらに仕事集中
という退職の連鎖が起こります。
これを私は「人手不足の自己加速」と呼んでもよいのではないかと思います。
その変化に人間はどう適応するか
では、その会社で働く人はどうするでしょう。
最初は頑張ります。
「Aさんが辞めたから、今だけ忙しい」
「新人が入れば楽になる」
「採用が決まるまで耐えよう」
そう考えるでしょう。
ところが半年経っても人が入らない。
あるいは新人が来ても教育できない。
すると社員の考え方が変わります。
まず、仕事を減らそうとします。
頼まれた仕事を断る、自分の担当外には手を出さない、改善活動をしなくなる、新人教育を最低限にする。
そして「頑張って仕事を終わらせても、別の仕事を追加されるだけ」と学習します。
これは記事解剖室で扱ってきた「静かな退職」ともつながります。
さらに状況が悪くなると、残っている社員は考えます。
「次に辞めるなら、会社が完全に危なくなる前では?」
ここで転職可能性の高い人から先に抜け始める可能性があります。
すると会社には、転職しにくい人、高齢者、技能の少ない人、事情があって辞められない人だけが残りやすくなる。
つまり、人が減るだけではなく、人材構成そのものが悪化する可能性があります。
これが非常に危険です。
反論・例外・この仮説が成立しない条件
もちろん「社員一人が辞めても倒産しない会社を作ればいい」と簡単に言うことはできません。
いくつか例外があります。
資格者が法律上必要な仕事
特定資格保有者がいなければ営業できない業種があります。
この場合、その人物の退職が即座に事業継続へ影響することがあります。
超専門職
特殊な技術、特許、顧客関係などを一人だけが保有している企業では、完全な代替は困難です。
創業初期企業
社員3人のスタートアップで、「一人辞めても大丈夫なように6人雇っておく」などということは現実的ではありません。
利益率の低い業界
余剰人員を置けば赤字になる会社もあります。
この場合人員に余裕を持って、教育時間を確保せよ、バックアップを用意せよ、という正論そのものが会社を倒産させる可能性があります。
したがって問題は、すべての会社が余剰人員を大量に持つべきだということではありません。
むしろ重要なのは、どの人が辞めたら会社が止まるのかを経営側が把握しているかどうかです。
5~10年続いた場合どうなるか
この状態が日本全体で5年、10年続いたらどうなるでしょう。
私は企業が大きく三つに分かれていく可能性があると思います。
第一グループ
「複数人化できる会社」
業務標準化、マニュアル、AI、DX、多能工化、教育、外注、これらによって、
「Aさんしかできない仕事」
を減らしていく企業です。
この会社は比較的生き残りやすい。
第二グループ
「高給でキーパーソンを囲う会社」
完全な標準化が難しい仕事では、
重要人物に高い給与を払う。
株式を与える。
権限を与える。
柔軟な勤務を認める。
という方法で引き留める企業が出てきます。
つまり、人を代替可能にするのではなく、辞める確率を下げる戦略です。
第三グループ
「一人退職したら崩れる会社」
問題はここです。
低利益率、低賃金、人手不足、教育不足、属人化、採用難、高齢化。
この状態が全部重なる企業です。
こうした企業は、
一人辞める→仕事を減らす→売上減少→給与を上げられない→採用できない→さらに辞める
こういう縮小均衡に入ります。
そして最終的には、倒産だけではなく廃業、事業売却、M&A、他社への顧客移転が増えていくでしょう。
実際、2026年の人手不足倒産は高水準で推移しており、8月までで304件に達しています。
この数字は「人手不足だから倒産した企業」だけを意味しているのではないのかもしれません。
むしろ、これまで人間の無理によって維持されてきた会社が、維持できなくなってきたと見ることもできます。
既存の記事解剖室の考察とどうつながるか
今回の話は、これまでの記事解剖室で扱ってきた問題のかなり多くとつながっています。
まず「人手不足の会社ほど新人教育ができない」という記事です。

そこでは人材育成が最も必要な会社ほど、人材育成する余裕を失っていくという逆説を考えました。
今回の問題は、そのさらに先です。
人材育成できない→仕事がベテランへ集中→そのベテランが辞める→会社が回らなくなる。
つまり、教育不足の最終形が「一人退職倒産」とも考えられます。
次に「自分でやった方が早い」を続ける会社は、なぜ永遠に人が育たないのか? です。

仕事のできる人が、「自分でやった方が早い」と全部処理すると、短期的な生産性は上がります。
しかし後継者が育ちません。
10年間続けた結果その社員が辞めた瞬間、誰も仕事を知らないという状態が完成します。
そして「人材育成のフリーライダー問題」ともつながります。
自社で人を育てず、辞めたら市場から経験者を採ればいい。
これは一社なら成立します。
しかし全社がやると経験者不足になります。

つまり今回のテーマはこれまでの記事解剖室で扱ってきた、
人手不足、教育不足、属人化、即戦力採用、静かな退職、賃金問題が一つにつながる場所なのだと思います。
記事解剖室の結論
「社員が一人辞めただけで倒産する会社は、なぜ生まれるのか?」
最も分かりやすい答えは、人手不足だから、です。
しかし、もう一段深く考えると違う姿が見えてきます。
会社は長い時間を掛けて、余剰人員を削る、仕事を効率化する、得意な社員に仕事を集約する、教育時間を削る、即戦力採用を増やす、余計な人件費を削る。
こうした行動を取ります。
どれも単独で見れば合理的です。
そしてその結果、非常に効率的な会社が出来上がります。
ただし、誰も辞めなければという条件付きです。
つまり、一人辞めただけで倒産する会社は、突然弱い会社になったわけではありません。
むしろその直前まで、少ない人数で大量の仕事をこなす、非常に「効率の良い会社」に見えていた可能性があります。
しかし、効率化によって削られていたのは単なる無駄ではありません。
病欠に対応する人、新人を教える時間、仕事を引き継ぐ時間、社員が辞めたときの代替要員。
繁忙期へ対応する余力。
つまり会社が事故に耐えるための余白まで削っていたのです。
工場で言えば、予備機をなくし、予備部品をなくし、予備ラインをなくし、保全要員を減らし、在庫をゼロに近づけた結果、一台壊れただけで全工場が止まる状態と似ています。
人間も同じです。
一人辞めただけで倒産した会社を見て、「たった一人辞めただけで潰れるなんて弱い会社だ」と考えるのは簡単です。
しかし本当に見るべきなのは、その一人が辞める前です。
その会社は何年間、「その人が辞めないこと」を前提に経営していたのか。
そして、おそらくこれからの日本企業に必要なのは、単純な人員削減でも、単純な人員増加でもありません。
「この人が明日いなくなったら何が止まるか」を把握することです。
そして、止まってはいけない仕事だけは、二人以上ができるようにする。
マニュアル化する、AIに知識を残す、外注先を確保する、仕事そのものをやめる、キーパーソンの待遇を上げる。
いずれかの対策を取る。
これから企業が競うのは「どこまで無駄を削れるか」だけではなく、「どれだけ少ない余裕で、壊れない組織を作れるか」なのかもしれません。
一人辞めて倒産した。
そう見える会社の本当の倒産原因はその一人が辞めたことではなく、一人辞めても大丈夫な会社を、長年作らなかったことなのではないでしょうか。


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