リモートワークから完全出社へ戻した結果、若手社員が「静かな退職」状態になり、半年で部署の半数が退職した――。
元記事はこちら.

こちらに掲載された今回の記事は、一見すると、完全出社を強制すると優秀な社員が辞めるので、柔軟な働き方を認めるべきだ……そういう内容に見えます。
もちろん、それも記事の重要な主張です……が、これまで記事解剖室で考えてきた、
- 「働いているフリ」
- 有能な社員が能力を隠す組織
- 仕事が早い社員への追加業務
- 成果主義の限界
- AIで浮いた時間は誰のものか
- キャリアミニマリズム
- 本業では最低限、副業では努力する理由
- 出社回帰は本当に生産性のためなのか
- 誰も管理職になりたがらない会社はどうなるのか
といった問題と接続すると、もう一つ違ったものが見えてきます。
会社は社員に、
「明日から会社へ来てください」
と命令することはできても
「明日から会社のためにもっと意欲的に働いてください」
と命令して、それをそのまま実現することはできないことを如実に表しています。
今回の記事が描いているのは、
会社には社員の「行動」を一定程度強制する力はあっても、社員の「意欲」まで強制することはできない
という問題ではないでしょうか。
今回は、この点を中心に深掘りしてみます。
記事は何を主張しているか
記事の表面的な主張は、
完全出社を一方的に強制すると、若手社員の不満や離職を招き、結果として企業自身の生産性を低下させる可能性がある
というものです。
記事に登場するIT企業では、コロナ禍で完全リモート勤務になっていました。
ところが経営陣が「対面での対話こそがイノベーションを生む」として週5日の完全出社を決定。
その結果、若手社員が反発→最低限の仕事しかしなくなる→エース社員が退職→半年で10人中5人が退職→残った社員だけでは仕事が回らない→課長が実務まで背負う→残業が月80時間を超える。
という展開になります。
最終的には会社側も完全出社を撤回し、「原則6割出社」というハイブリッド勤務へ修正しています。
つまり記事の結論は、
リモートか出社かの二択ではなく、社員のニーズも考慮した柔軟な勤務制度を作る必要がある
というものです。
しかし、この事例をもう一段深く見ると、少なくとも三つのテーマが隠れています。
会社は「出社」を命じることはできても、「努力」を命じることはできない
最初の重要なポイントです。
経営陣の命令によって、社員を会社へ来させることはできました。
形式上は会社の勝ちです。
しかし若手社員は、「評価はどうでもいいので最低限の仕事しか指示通りやりません」という行動を選択しました。
会社側の要求:出社してください。
社員:……分かりました。
会社側:そしてこれまでと同じように意欲的に働いてください。
社員:それは別の話です。
となっています。
会社は社員の身体をオフィスへ戻すことには成功しました。
しかし、社員の意欲を会社へ戻すことには失敗したわけです。
制度変更によるコストが中間管理職へ集中している
二つ目のテーマ。
完全出社を決定したのは経営陣ですが、社員へ説明したのは課長。
社員の不満を受け止めたのも課長、退職を引き止めるのも課長、退職後の仕事を穴埋めするのも課長。
そして経営陣から、
「部下の引き止めもできないのか」
と責められるのも課長。課長、課長、課長のオンパレード(-_-;)
つまり、決定した人と、その決定の副作用を引き受ける人が違うという構造があります。
「生産性」という言葉が都合よく使われている
三つ目が今回かなり重要かなと個人的には思っています。
この会社が完全出社へ移行した根拠の一つとして、
出社した方がパソコンのタイピング数が多い
という説明が出てきます……最初この記事見た時、『何じゃ、その説明は』と思ったのですが(-_-;)
しかし、
タイピング数=生産性
なのでしょうか? ものすごく疑問です。
IT企業ならなおさら疑問。
1000行のコードを書く人より、100行で同じ問題を解決する人の方が優秀なのでは? と思うのですがその辺り、貴方はどう思います?
わかりやすく文章を短くまとめるってのひどく難しいんですが、コードを短縮するのも同様なのではと思うんだけどなぁ……
一時間ずっとキーボードを叩く人より、30分考えて問題の根本原因を発見した人の方が会社へ大きな利益をもたらすかもしれません。
つまり、測定しやすい活動量と、本当に会社が欲しい成果を取り違えている可能性があります。
これは以前の記事解剖室で扱った「成果主義なら『働いているフリ』はなくなるのか?」とも非常によく似ています。

筆者は誰に向けて書いているか
今回の記事には、三種類程度の読者が想定されていると思います。
第一の読者:中間管理職
最も中心に置かれているのはこの層でしょう。
主人公は45歳、年収1100万円の課長ですからね。
記事は、若手VS会社、という構図だけではありません。
むしろ、経営陣→中間管理職→若手社員
という縦構造の中で、中間管理職が両側から押し潰される姿を描いています。
同じ立場の40~50代管理職が読めば、
「自分にも起こり得る」
と思いやすい内容でしょう。
第二の読者:経営者・人事担当者
こちらには、
勤務制度を変えるなら、制度変更によって発生する人材流出まで計算していますか?
という問いを投げています。
出社によって仮に一人当たり生産性が5%上がったとしても、
優秀な社員が辞める、採用費用が増える、教育費用が増える、残業が増える、管理職が疲弊する、残った社員も辞める……全部合算すると、会社全体としてマイナスかもしれません。
つまり経営陣には、
出社による局所的な効率ではなく、組織全体の費用対効果を見てください
と伝えています。
第三の読者:若手会社員
若手側には、働き方を重視するのはわがままではない、というメッセージがあります。
リモート勤務が自分にとって重要なら、より条件の良い会社へ移るという選択肢もある。
記事中のエース社員は実際に、フルリモート可能で年収も上がる同業他社へ移っています。
会社から見れば離職。
本人から見ればキャリアアップです。
同じ出来事でも、見る側によって意味が変わります。
読者に何をさせたいか
記事が読者に求めている最大の行動は、
完全出社か完全リモートかという極端な制度ではなく、ハイブリッド勤務を検討すること
でしょう。
実際、記事の会社も最終的には、完全出社→6割出社へ修正しています。
ここには、会社側にも出社させたい理由がある。
しかし、社員にもリモートを求める理由がある。
ならば、両方がある程度納得できる妥協点を探す考え方があります。
これは以前の記事解剖室の「出社回帰は本当に生産性のためなのか?」とも一致します。

そこで考察したのも、
リモートか出社か。
という二択ではありません。
本当に考えるべきなのは、「この仕事は、なぜこの場所で行う必要があるのか?」です。
新人教育、ブレインストーミング、複雑な意思決定、人間関係形成。
こうした仕事なら出社する。
一人で資料を作る、コードを書く、文章を作る、分析する。
こうした仕事なら自宅でもよい。
つまり、曜日を基準に勤務場所を決めるより、仕事内容を基準に勤務場所を決める方が合理的ではないか。
今回の記事も、最終的にはその方向へ読者を誘導しています。
どんな前提を置いているか
ここから記事を少し疑ってみます。
前提1.完全出社が5人の退職原因だった
記事の構造は、
完全出社→社員反発→静かな退職→大量離職
という非常に分かりやすいものです。
しかし現実の離職理由はもっと複雑でしょう。
記事中のエース社員も【フルリモート可能】だけではなく【年収も上がる会社】へ転職しています。
ならば退職理由は、
- 出社への不満
- 給与
- 会社への不信
- キャリア
- 元々転職したかった
などが複合していた可能性があります。
完全出社が引き金だったとしても、完全出社だけが原因とは断定できません。
前提2.静かな退職は出社命令への反発だった
社員が最低限しか働かなくなった理由についても同様です。
出社命令が原因だった可能性は高いでしょう。
しかし、以前は全力で働いていたのか? 評価制度への不満はなかったのか? 給与への不満はなかったのか? 仕事量は適切だったのか?
この辺りは、記事から分かりません。
完全出社は、それまで存在していた不満を表面化させただけだった可能性もあります。
前提3.リモート勤務は採用時の重要な交換条件だった
これは逆に、もっと掘る価値があります。
記事では、リモートワーク前提で働いていた社員、と説明されています。
もし採用時に、フルリモート勤務可能という条件をかなり強く提示していたのであれば、社員からすると今回の変更は、会社が後から労働条件を変更したように感じられます。
これは単なる、
最近の若者は出社したがらない。
という問題ではありません。
めちゃくちゃ極端な話をすると
入社時:年収600万円です。
数年後:来月から500万円です。
と言われたら、大きな反発が起きるでしょう。
勤務場所についても本人にとって重要な価値があるなら、リモート勤務という「非金銭的報酬」を取り上げられた、と考えることができます。
労働条件の変更は、労働者側の不利益になる場合は労働者側の同意が必要なので、この辺りは法律も絡んでくる可能性があります。
何が書かれていないか
書かれていないこと1.タイピング数は本当に適切な生産性指標なのか
個人的に、今回の記事で最大の突っ込みどころでした(-_-;)
会社は、出社した方がタイピング数が多かったことを出社の効率性の根拠としているようです。
しかしタイピング数は活動量であって、成果ではない、と思うんですが……
これは以前の「働いているフリ」の問題とほぼ同じです。
会社がオンライン状態を評価すれば、オンラインでいるように見せる。
労働時間を評価すれば、長く働いているように見せる。
タイピング数を評価すれば、キーボードを多く叩く。
人間は評価指標に適応します。
でも、指標が増える=会社の利益が増える
とは限りません。
以前の「成果主義なら『働いているフリ』はなくなるのか?」では、
時間を評価すれば時間を演出し、成果指標を評価すれば成果指標を演出する
という問題を考えました。

今回のタイピング数も、その一種と考えられます。
書かれていないこと2.出社によって何が改善したのか
記事は完全出社の悪影響を中心に描いています。
では経営陣が期待した、
- コミュニケーション
- 新人教育
- イノベーション
- 部署間連携
は本当に何も改善しなかったのでしょうか?
一つくらいは、何か良かった面があると思うんですが……どうでしょう?
ここはほぼ書かれていません。
完全出社によるメリットが一定程度あった可能性もあります。
もし、コミュニケーションは20%改善した。
しかし、離職によって人員が50%減った。
なら、総合的には失敗でしょう。
重要なのは、出社にメリットがあるかないかではありません。
メリットとコストを合わせたとき、どちらが大きかったのかです。
なので、メリットが何も書かれていないと、ここを深堀り出来ないんですよねぇ(-_-;)
書かれていないこと3.通勤時間という「会社には見えないコスト」
社員は往復2時間かけていました。
会社の損益計算書には、社員の通勤時間2時間という費用項目はありません。
しかし本人には確実にコストです。
1日2時間。週5日で10時間。年間約240日なら480時間。
つまり完全リモートから完全出社になることで、年間約480時間が通勤へ変わります。
一日8時間労働換算なら、約60日分の時間です。
社員からすれば非常に大きい。
会社側:給料は変わりません。
社員側:でも一年間に数百時間失います。
という認識差があります。
これは以前の記事「AIで仕事が早く終わった時間は誰のものか?」の逆方向の問題です。

AI記事では、生産性向上で生まれた時間を誰が受け取るのか、を扱いました。
今回は、会社の制度変更によって新しく発生した時間コストを誰が払うのかです。
そして今回の場合、その大部分を社員が負担しています。
書かれていないこと4.会社は社員が辞める可能性を事前に計算したのか
ここは経営判断としてとても重要なんですが、書かれていない……社長とか上の人間なら考えそうなもんなんですが……
完全出社へ戻せば、一定割合の社員が嫌がる、一部は辞める。
これはある程度予想できたはずです。
ならば、出社による生産性向上から、
- 離職コスト
- 採用費
- 教育費
- 欠員による残業
- 管理職負担
- ノウハウ流出
を差し引いたのでしょうか?
もし計算していなかったなら、生産性を上げる施策ではなく、目の前の効率指標だけを改善した施策だった可能性があります。
書かれていないこと5.なぜ完全出社という「0か100か」を選んだのか
これも個人的に謎ですね(-_-;)
会社は最終的に6割出社へ落ち着きました。
ならば最初から、
週3日出社
を試すこともできたはず。
週1、週2、週3、週4、週5。
複数の選択肢があったのに、いきなり原則リモート禁止を選んだ理由が知りたい……現実の話ならば、という仮定がつきますが(-_-;)
経営陣には、社員が会社にいる方が安心できるという心理もあったのかもしれません。
以前の記事「出社回帰は本当に生産性のためなのか?」では、
生産性だけでなく「観測可能性」や「管理可能性」を企業が求めている可能性
を考えました。
今回の記事も、その仮説と一致する可能性があります。
書かれていないこと6.退職した社員が本当に会社にとって損失だったのか
私は天邪鬼な人間なので、意地の悪い提示もしましょう。
ズバリ、辞めた社員は戦力になる社員だったのか、です。
5人辞めた。
記事では会社の損失として描かれています。
しかし企業側が『人員削減したい』と考えていた可能性は?
今回は欠員補充されず課長が過重労働になっているので、積極的な人員削減策だった可能性は低そうですが、それでも出社回帰によって一定の自然退職が起きることを経営側がどこまで想定していたのかは記事から分からないので……以前の記事でも、RTOが意図せざる人員削減として働く可能性を考えました。
ここも検討余地がありますね。
記事の有効な部分は何か
今回の記事で最も有効なのは、制度を変えると、人間も行動を変えることを非常に分かりやすく示している点です。
会社は完全出社にすれば、これまで通り働く社員が会社へ来ると考えたのかもしれません。
しかし現実は、
制度変更→社員が損得を再計算→行動変更、という結果になりました。
ある社員は最低限しか働かなくなった、ある社員は転職した、残った社員にも不満が残った。
つまり、制度変更前の社員を、そのまま新制度へ移動させられるわけではありません。
制度が変われば、社員自身も戦略を変える。
この視点は非常に重要です。
そしてこれは、これまで記事解剖室で考えてきた問題と全部つながります。
能力を発揮すると仕事が増える→能力を隠す
成果だけ求められて報酬が増えない→最低限の成果だけ出す
本業より副業の方がリターンが大きい→能力を副業へ移す
AIで効率化すると人が減らされる→AI活用を隠す→
完全出社で自由時間を失う→最低限しか働かない、あるいは会社を移る。
人間は、会社が提示した制度の中で、自分にとって合理的な行動を選ぶ。
今回の記事は、その具体例として非常に使いやすいと思います。
別の立場から見るとどうなるか
若手社員から見る
若手側の行動はかなり合理的に見えます。
完全リモート→完全出社→往復2時間余計にかかる
つまり会社にいる時間は8時間でも、
仕事に拘束される時間は10時間
になります。
一方、同業他社には、フルリモート+年収アップの求人がある。
ならば転職するのは、忠誠心がないというより、より条件の良い商品へ乗り換えたという市場行動である、と言うべきでしょう。
以前の「キャリアミニマリズム」で考察した、
会社への忠誠より、自分の人生全体を最適化する
という動きとも一致します。

経営者から見る
ただし経営側を単純に悪者にするべきでもありません。
会社には、
- 若手育成
- チーム形成
- コミュニケーション
- 組織文化
- 情報共有
- イノベーション
を維持する責任があります。
完全リモートによってこれらが悪化していたなら、何らかの修正は必要です。
社員一人一人が、自宅の方が楽です、と言うだけで会社全体の制度を決めるわけにもいきません。
問題は、出社させたことより、なぜ週5日必要なのか、その根拠が弱かったことでしょう。
そして、出社によって得られる利益と社員流出による損失を比較する必要があるのですが、その辺り、ちゃんと計算していたのか、この記事からではわかりません……
中間管理職から見る
今回最も厳しい立場です。
完全出社を決めたのは自分ではない。
でも社員には自分が説明する。
社員が辞めても、自分が責められる。
欠員も自分が埋める。
それで業績が落ちれば、さらに責められる。
これは、責任はあるが、権限がないという中間管理職問題の典型です。
以前の記事「誰も管理職になりたがらない会社は、最終的にどうなるのか?」では、
管理職候補が減れば、残った管理職へ仕事と責任が集中する
と考察しました。

今回の山本課長は、その未来を先取りしたような姿です。
しかも一般社員がこの姿を見れば、将来自分も管理職になりたい、とは思いにくいでしょう。
完全出社→社員離職→管理職負担増→管理職という職務の魅力低下→管理職候補減少
という別の悪循環まで生まれます。
会社全体から見る
企業全体の観点では、今回最大の問題は、部分最適と全体最適を取り違えた可能性です。
仮に、出社するとタイピング数10%増だったとします。
これで成功なのか、というと利益に繋がるか否かわからないんですが、成功だったとしましょう。
しかしその結果、
社員50%退職、残業増加、採用費増加、ノウハウ流出、課長疲弊……となれば、会社全体では大失敗と言われてもしょうがありません。
一つの指標を最適化した結果、組織全体を悪化させる。
これは評価制度でもAIでも、これまで何度も出てきた問題です。
記事解剖室の結論
今回の記事をそのまま読むなら、
完全出社を強制すると若手が辞めるので、柔軟な勤務制度を用意しましょう。
という教訓になります。
それ自体は妥当でしょう。
しかし記事解剖室としては、もう一段深く考えたいところです。
私はこの事例の本質は、
会社が持つ「命令できる範囲」と「命令できない範囲」の境界を見誤ったこと
にあると思います。
会社は、午前9時に来てくださいと命令できます。
会社は、この仕事をしてください、とも命令できます。
一定の範囲では、この場所で仕事をしてください、とも言えるでしょう。
しかし、
会社を好きでいてください。
自主的に改善してください。
能力を100%出してください。
この会社で長く働いてください。
とは命令しても、実行してくれるとは限りません。
ここには大きな違いがあります。
会社が強制できるのは、行動の最低ラインです。
しかし会社が本当に欲しいのは、
自発性
創造性
改善
協力
忠誠
長期的な貢献
この辺りでしょう。
これらは強制では生まれません。
むしろ強制を強めすぎると、
契約上必要な最低限だけやります。
という反応が返ってくる可能性があります。
これが「静かな退職」です。
考えてみれば、かなり皮肉です。
会社は社員が見えないことを不安に感じて完全出社させたのに、その結果、
社員は毎日見えるようになった。
しかし、
以前より会社のために働かなくなった。
見えるようになったことと、
働くようになったことは別だったわけです。
これは、記事解剖室の最初のテーマだった「働いているフリ」ともつながります。
社員が会社へ来る、席に座る、パソコンを開く、タイピングする。
これは全部、
見えます。
しかし、
本気で会社へ貢献しているか
は見えません……だからこそ、
出社=勤務
勤務=努力
努力=成果
という単純な等式にはできません。
そして今回の記事には、もう一つ重要な教訓があります。
会社が制度を変えるとき、
その制度変更によって社員がどんな行動を取るか
まで考える必要があるということです。
出社を強制する。
社員はそのまま出社して働く。
ではありません。
出社を強制する→社員は新しい条件で損得を計算する→その会社で働き続ける価値を再評価する→努力量を下げる、あるいは転職する。
つまり社員は、
制度変更の受け手であると同時に、それに対して行動を変える主体
です。
そしてこれは、これまで記事解剖室で考えてきた問題に共通しています。
能力を出すと仕事が増えるなら、能力を隠す。
AIで浮いた時間を全部会社に取られるなら、効率化を隠す。
本業で努力しても十分に返ってこないなら、副業へ能力を移す。
管理職になっても責任しか増えないなら、昇進を断る。
完全出社で年間数百時間の自由を失うなら、最低限しか働かないか、別の会社へ移る。
すべて、
会社が作った制度に対する、社員側の合理的な適応
という一本の線で見ることができます。
だから今回の事例を、
最近の若手は会社に従わなくなった。
と見るだけでは、本質を見誤ります。
若手社員は会社へ来ています。
会社の命令には従っています。
しかし同時に、
会社が求めていない別の形で適応した。
ことになります。
そして会社側も最終的に、
完全出社→6割出社へ修正しました。
つまり会社側も社員の反応を見て、自分たちの行動を変えています。
ここで起きているのは、
会社が社員を一方的に管理する
という古い関係ではありません。
会社が制度を変更する→社員が反応する→会社が再修正する。
という、会社と社員の交渉に近いものです。
そして最終的に安定しやすいのは、会社だけが得をする地点でも、社員だけが得をする地点でもないのでしょう。
会社には、出社による協働・育成・情報共有という利益がある。
社員には、在宅勤務による時間・自由・集中という利益がある。
その両方をある程度残す場所を探す。
今回の会社が最終的に6割出社へ落ち着いたことは、象徴的です。
だから企業が考えるべきなのは、
「どうすれば社員を出社させられるか?」
ではないと思います。
社員を出社させるだけなら、命令すればよい。
本当に難しいのはその先です。
「出社した社員が、それでもこの会社のために自分の能力を使いたいと思える状態をどう作るか?」
です。
会社へ来させることはできます。
席に座らせることもできます。
パソコンを開かせることもできます。
しかし、
自分から工夫する。
誰かを助ける。
新しいことを考える。
会社を良くしようとする。
ところまでは命令できません。
それを引き出すには、
会社に協力した方が、自分にとっても得だ
と思える関係が必要です。
今回の記事で最も注目すべきなのは、「完全出社で若者が辞めた」という表面的な出来事ではなく、
会社が社員への統制を強めた結果、社員から得られる自主的な協力を失ってしまった
という逆説ではないでしょうか。
そして企業が本当に恐れるべきなのは、
社員が会社へ来なくなること
ではありません。
もっと怖いのは、
毎日会社へ来ているのに、誰も会社のために最低限以上のことをしなくなること
なのだと思います。


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