管理職は会社が選ぶべきか、本人が立候補すべきか?「挙手型昇進」のメリットと問題点

記事解剖

「次の課長は誰にするか」

これまで多くの日本企業では、この問いに答えるのは会社でした。

上司や人事が、

  • 実績がある
  • 経験年数が長い
  • 周囲から評価されている
  • 今後も会社に残りそう
  • そろそろ昇進する年齢である

といった条件から候補者を選び、「次は君に課長をやってもらいたい」と本人へ打診する。

本人はそれを受けるか辞退するかを決める。

これが従来型の昇進だったわけです。

ところが最近、この順番を逆転させる企業が出てきています。

まず社員が「私は管理職になりたい」と手を挙げる。

その後、会社が能力や適性を審査し、昇進させるかどうかを決める。

いわゆる「挙手型昇進」です。

リクルートワークス研究所によれば、従業員300人以上の企業では約29.3%が挙手型昇進を導入しており、4000人以上の企業では34.6%に達しています。

昇進とは誰が決めるものか――本人意思を起点とする昇進は機能するのか|報告書|リクルートワークス研究所
「管理職になりたくない」という人が増える一方、企業は次の管理職を選ばなければならない。本報告書は、本人意思を起点とする「挙手型昇進」の実態と可能性を明らかにし、本人意思と企業判断を組み合わせた新たな昇進のあり方を提示する。

こちらのリンク先にあるPDFのレポートに対しての考察に今回はなります。

すでに一部の特殊企業だけの仕組みではありません。

では、管理職は会社が選ぶべきなのでしょうか。それとも本人が立候補すべきなのでしょうか。

一見すると「やる気のある人が立候補した方がいい」と思えます。

しかし、この問題を掘っていくと、それほど単純でもなさそうです。


記事は何を主張しているか

リクルートワークス研究所の報告書『昇進とは誰が決めるものか――本人意思を起点とする昇進は機能するのか』の中心的な主張は、かなり明確です。

「会社が決める」か「本人が決める」かという二択ではない。

本人が昇進への意思を示し、その上で会社が能力・適性・実績・必要なポストなどを見て判断する。

つまり本人意思 × 会社選抜という仕組みが重要なのではないか、という提案です。

実際、挙手型昇進を導入している企業でも、「本人の意思を踏まえ、上司・会社が判断する」という企業が57.0%を占めています。

本人意思を原則尊重する企業は26.5%。

つまり「立候補すればそのまま管理職になる」という制度ではありません。

選考基準についても、

管理職としての適性・能力 68.3%
担当業務での実績・成果 62.7%
直近の人事評価・業績 55.8%
本人の意欲・志向 52.2%

となっています。

ここは重要です。本人の意思は「選考基準」ではなく、主として「候補者になる入口」なのです。


筆者は誰に向けて書いているか

この記事の主な読者は、人事担当者、経営者、管理職、人事制度を設計する立場の人でしょう。

なぜなら、問題設定そのものが、管理職になりたい社員が減っている中で、どうやって次の管理職を確保するか、だからです。

調査では、20代では57.0%が管理職を希望しているのに対し、40代では28.2%、50代では17.8%まで低下しています。

企業から見れば、これはかなり深刻です。

管理職になりたい人が減っても、人員配置、評価、人材育成、部署間調整、意思決定、トラブル処理といった管理業務はなくなりません。

記事解剖室でも以前、「誰も管理職になりたがらない会社は、最終的にどうなるのか?」でこの問題を考えました。

誰も管理職になりたがらない会社は、最終的にどうなるのか?
責任は増えるのに待遇は見合わない。そんな状態が続けば、管理職候補は減っていきます。管理職になりたくない人が増える理由と、その結果会社に何が起きるのかを考察します。

そこでの結論は、管理職が不要になるのではなく、少数の管理職へ仕事が集中する可能性が高いというものでした。

今回のリクルートワークス研究所の記事は、その問題に対する一つの制度的回答とも読めます。


読者に何をさせたいか

単純に、「挙手型昇進を導入してください」と言いたい記事ではありません。

むしろ昇進制度を「会社が人を選ぶ制度」だけとして考えるのをやめてほしいというメッセージに近いでしょう。

本人が管理職という仕事を引き受けたいのか。

どういう条件なら引き受けたいのか。

なぜ手を挙げないのか。

そうした本人側の意思形成まで人事制度として考えるべきだ、ということです。

実際、報告書では「手を挙げるかどうか」を左右する要素として、

上司からの働きかけ、仕事での成功経験、役割拡大への期待、処遇、労働負荷、家庭事情、管理職の魅力、再挑戦できる安心感など、18もの要因を整理しています。

つまり「管理職になりたい人だけ応募してください」と掲示板に募集を出せば終わりではない、ということです。


どんな前提を置いているか

この記事には非常に重要な前提があります。

それは、本人の意思は固定されたものではないという考えです。

「管理職になりたい人」と「管理職になりたくない人」が最初から二種類存在するわけではない。

例えば、

給与が十分上がる。
部下を育てる時間が与えられる。
プレイヤー業務を減らしてもらえる。
失敗しても専門職へ戻れる。
優秀な上司が管理職として楽しそうに働いている。

こういう会社なら「やってみようかな」と思う社員が増えるかもしれません。

反対に、

課長になる→残業が増える→部下のトラブルを全部背負う→自分の仕事も減らない→給与は月3万円しか増えない

こうなれば、「いや、結構です」となる。

これは意欲の問題というより、かなり合理的な判断です。

報告書でも、手を挙げない社員は労働負荷と処遇の費用対効果を冷静に計算していることが指摘されています。

この点は記事解剖室の「管理職になりたくない人が増えた理由――責任と報酬は釣り合っているのか」ともほぼ直結します。

つまり、管理職志望者が少ない会社は、社員の意欲が低い会社とは限らない。

管理職という商品の条件が悪い会社なのかもしれません。


何が書かれていないか

ここからが記事解剖室として一番考えたいところです。

挙手型昇進には、かなり大きな盲点があります。

それは「管理職になりたい人」と「管理職に向いている人」は同じなのか? という問題です。

これは全く同じではありません。

例えば、Aさん
「自分はまだ管理職なんて無理です」

しかし実際には、

部下の相談に乗る。
仕事を他人に教えるのが上手い。
冷静に判断できる。
他部署との調整も上手い。

一方、

Bさん
「ぜひ管理職をやりたいです!」

しかし、

部下の話を聞かない。
自分の手柄にしたがる。
権限を持ちたがる。
失敗すると他人の責任にする。

こんなことはいくらでも考えられます。

管理職への意欲と管理能力には別の軸がある。

ここを忘れると、立候補制は危険です。

実際、報告書のX社では、4年間で47ポストに181人が応募したものの実際に異動できたのは29人。

さらに、登用後の成果・能力評価が低かったり、部下のエンゲージメントが下がった事例もあり、制度はいったん休止されました。

本人が「やりたい」と言うことと、「できる」ことは別なのです。


記事の有効な部分は何か

それでも、挙手型昇進にはかなり面白い効果があります。

本人意思を起点に昇進した人は、企業主導型の昇進者より、エンゲージメント、心理的資本、仕事経験からの学びなどが高い傾向を示しています。

また挙手型昇進導入企業では、課長への昇進が平均1.8歳、部長では5.7歳若いという結果も出ています。

これは結構重要でしょう。

従来型昇進だと、上司に認識されている人が候補になりやすい。

しかし挙手型なら、上司が候補だと思っていなかった人も出てくる。

つまり挙手型昇進の大きな利点は、管理職を決めることより「隠れていた管理職候補を発見すること」なのではないでしょうか。


別の立場から見るとどうなるか

ここで、会社、社員、部下の三方向から見ると、この制度の評価がかなり変わります。

会社から見る

会社選抜の強みは「この人ならできる」と思う人を指名できること。

しかし弱点は、「その人がやりたいか」を後回しにしやすいことです。

結果として、

優秀だから昇進させる→本人はやりたくない→プレイヤーとしての能力も失う→管理職としても能力を発揮しない

という最悪の状態があり得ます。

これは記事解剖室で扱った「仕事ができる人を管理職に昇進させるのは正しい?」そのものです。

仕事ができる人を管理職に昇進させるのは正しい?優秀な人が失敗する理由
仕事ができる人を管理職に昇進させるのは本当に正しいのか。優秀なプレイヤーと優秀な管理職に必要な能力の違い、現場からエースを抜く損失、部下が育たない理由、専門職として評価する必要性まで、昇進制度の構造を考察します。

社員から見る

立候補制は魅力的です。

管理職になるかどうかを自分で選べますからね。

しかし問題があります。

立候補しなければ「あの人は出世意欲がない」というシグナルにならないでしょうか。

制度上は自由でも「みんな応募しているぞ」という圧力が発生すれば、実質的には強制と変わらない。

逆に、立候補して落ち続ける社員も出るでしょう。

すると、「何度応募しても評価されない」という別の不満が生まれます。

立候補制は、社員に自由を与える制度である一方、自分からキャリア意思を表明する責任を負わせる制度でもあります。


部下から見る

おそらく最も重要なのに忘れられやすい視点です。

部下にとって大事なのは、上司がどうやって選ばれたかではありません。

良い上司かどうかです。

会社指名だろうが立候補だろうが、

部下を育てない。
責任を押しつける。
判断しない。
えこひいきする。

これでは意味がない。

つまり、昇進制度の目的は管理職を選ぶことではない。

良い組織を作れる管理職を選ぶことのはずです。


この出来事が5年続いたらどうなるか?

ここから少し未来を考えます。

仮に挙手型昇進が今後5年間広がったとしましょう。

最初に起こるのは、「昇進したい人」と「昇進したくない人」の可視化でしょう。

これまで、

上司:「次、課長やってくれ」

社員:「分かりました」

こういう仕組みなら、本当に本人が管理職になりたかったか分かりませんでした。

挙手型なら意思が表面化します。

すると次に人気の管理職ポストと、不人気ポストの格差が見えるようになるでしょう。

営業部長には10人応募。

製造部門の夜勤を抱える課長には0人。

こういうことも起きる。

企業はそこで初めて、「社員にやる気がない」ではなく「この管理職ポストの条件が悪い」という事実と向き合わされます。

これはかなり良い変化かもしれません。


さらに進むと管理職市場のようなものが社内にできる可能性があります。

社員側は、

仕事内容
部下数
給与
裁量
勤務時間
昇進後のキャリア

これらを比較する。

会社側は、

経験
適性
実績
人望
管理能力

この全てを評価する。

すると「課長になれる人を探す」のではなく、「このポストと、この人をマッチングする」という仕組みに近づきます。

これは従来の年功昇進とはかなり違う世界です。


しかし悪い方向へ行けば、別の問題が起きます。

「立候補がうまい人」が管理職になる

プレゼンがうまい。
自己PRがうまい。
社内政治がうまい。

しかし、人を育てるのは苦手。

こういう人が増える可能性があります。

つまり、従来型昇進の欠点が「仕事ができる人を管理職にしてしまう」だったとすれば、立候補型昇進の欠点は「管理職になりたがる人を管理職にしてしまう」ことになる。

結局、選抜の軸を変えただけでは問題は解決しません。


記事解剖室の結論

では、管理職は会社が選ぶべきか、本人が立候補すべきか?

私なら、「立候補+会社推薦+適性選考」の三段構造にします。

つまり、本人立候補ルート+会社推薦ルートの両方を用意する。

その後、管理能力、対人能力、判断能力、人材育成能力、実績、本人意思を会社が審査。

なぜ二つの入口を用意するのか。

理由は簡単、やりたいけれど会社が気づいていない人を立候補制で拾い、能力はあるけれど自分では手を挙げない人を推薦制で拾う。

その上で本人が拒否できる。

この構造が一番合理的かなぁ、と思いまして。


そして今回の記事を、これまでの記事解剖室の議論につなげると、かなり面白い結論になります。

以前、「仕事ができる人を管理職に昇進させるのは正しい?」では、プレイヤー能力と管理能力は違うと考えました。

「誰も管理職になりたがらない会社は、最終的にどうなるのか?」では、

管理職になるメリットが小さければ、合理的な社員ほど避ける

と考えました。

そして今回、「管理職は会社が選ぶべきか、本人が立候補すべきか?」まで来ると、一連の問題の形がかなり見えてきます。

従来の日本企業は、仕事ができる人→会社が選ぶ→本人に打診→管理職

こんな感じでした。

しかしこれから必要なのは、

本人がやりたい+会社から見ても能力がある+管理職としての適性がある+そのポストの条件が本人にとって合理的

という複数条件のマッチングなのではないでしょうか。

つまり、「誰を管理職にするか」という問題そのものが古くなりつつある。

これから重要になるのは「誰が、どの管理職ポストなら能力を発揮し、本人にも組織にも利益があるのか」という問題でしょう。

そして挙手型昇進の最大の価値は、「社員に自由を与えること」でも、「管理職不足を解決すること」でもなく、会社が一方的に人を当てはめていた昇進を、社員と会社のマッチング問題へ変えることなのかもしれません。

ただし、ここで最後に一つ問題が残ります。

どれほど優れた立候補制度を作っても「仕事は増える。責任も増える。でも給料はほとんど増えません」という管理職なら、誰も手を挙げません。

となると、今回の問題のさらに奥には「誰が管理職を選ぶか」ではなく、「そもそも管理職という仕事を、選びたくなる仕事にできているか」という問いが残っているように思います。

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